北戴河・向海バードウォッチングツアー報告


連峯山からの眺め

 中国北戴河へ訪問したのはかれこれ4年前の3月になるだろうか。北戴河は北京から汽車で6時間ほどかかる渤海湾に面した町で、昔から保養所として知られている。夏には政府の要職にある人たちが訪れ、にぎやかなようだが、3月にたずねたときはひっそりと静まり返っていた。

 今回、急遽その北戴河を再訪することとなった。時期的に春の渡りが見られるはずだが、中国はまだまだ情報が少ない。一体どのような鳥が見られるのだろうか。新和ツーリストの関係者からは、カラフトムシクイやキマユムシクイが沢山見られるだろうと聞いた。

 4月27日朝、連休の混雑が始まる少し前に成田空港を出発し、北京を目指す。今回の参加者は6名。宮城県から3名、藤沢から2名、東京から1名であった。

 北京到着は午後2時過ぎ。予定より遅れて到着。新しい北京空港はどこかで見たようなデザイン。綺麗だが無機質で、なんだか寒寒としている。後で現地ガイドから、日本の建築家が作ったと聞かされる。KLIAや関西空港でお馴染みの黒川紀章か。

現地スルーガイドと北京のガイドと空港ロビーで面会。二人とも流暢な日本語を話すのに驚かされる。バスに乗り込み、北京市内へ。車中、現地ガイドたちと打ち合わせ。時間がないことから、予定していた?和園訪問を中止し、景山公園へ。来るたびに北京の発展ぶりには驚かされるが、今回も新しい建物が増えていて、街の変貌振りを実感できた。

景山公園は故宮の見えるので有名な公園らしい。観光にはあまり興味がないため、知らなかったが、多くの観光客が来ていた。なるほど、故宮の広大な建物群が見える。公園の上空をヨーロッパアマツバメが飛び交っている。声は「ジューィリリリ・・・」と他のアマツバメよりも少し濁っていて、最初はヒヨドリの類がいるのかと思ったくらい。

景山公園内にある喫茶室で中国茶を飲ませてもらう。古めかしい建物の内部を改装して、中国式の茶道(というべきか)を実践してくれる。近年、日本人観光客が増えているからか、驚くほど日本語を話す人が多い。日本人が回りそうな店や観光地、ホテルなどでは、まず誰か日本語を話せると言って良さそうだ。雰囲気を十分に出しているのに、お茶を入れているチャイナドレスの女性の足下はスニーカーだった。

公園を出て、夕食を食べにBeijing Rainbow Hotelへ。市内は相変わらず渋滞が酷い。時間が全く読めないほど渋滞するのは、ひとえに個々のドライバーのマナーの悪さによるものである。我々が乗っているバスですら、ドライバーは思いついたときにUターンをする。信号無視はごく当たり前のことで、先に交差点に突っ込んだ方が勝ちという雰囲気だ。歩行者や自転車もたいしたもので、そういう車の間を縫って歩いている。

 依然、北京市内では自転車が目立つが、車では全く時間が計算できないので車を買える予算があっても自転車で通勤する人がいるという。自転車が一番確実な交通手段ということらしい。もっとも、車は依然中国では高級なもので、一般市民の手に入るものではない。ドイツのフォルクスワーゲン社との合弁で製造しているジェッタが安い方で、日本円で200万円くらいするようだ。物価は日本の6分の一程度のようだから、現地の人には1200万円くらいの感覚かもしれない。

市内の繁華街は日本と変わらない様相を呈してきている。大きな百貨店が並び、人民服ではない垢抜けた服装の若い人々が買い物袋を下げて歩いている。日本でもお馴染みのファーストフードショップの看板が目に飛び込んでくる。ただ全て漢字で、「肯徳基(ケンタッキー)」、「麦当労(マクドナルド)」などと書いてある。全て漢字表記というのはいつ見ても面白いもので、「佳能(キャノン)」、「百事可来(ペプシコーラ)」、「雪碧(スプライト)」など、読んでは感心したり、驚かされたり。

夕食を終えてホテルに到着。新僑飯店は日本式の温泉を売りにしている新しいホテルだった。

4月28日。朝8時半の列車に乗るべく、北京南駅へ向かう。スルーガイドが駅の構内でポーターを捕まえ、荷物を積む。20kgほどあるスーツケースを4個も5個も積み上げても平気な顔をして運んでいく。構内は相変わらずの混雑ぶり。外国人用の待合室からプラットホームへ入る。一等客車の車内に通され、出発の時間を待つ。中国の汽車は長い編成の列車が多く、12両も13両も連ねている。日本ではなくなった旅情感がたっぷりとある。

8時半、有線放送だかラジオだかをにぎやかにかけながら、汽車は北京の駅を離れた。途中、天津を経由し、北戴河へ向かう。車内ではひっきりなしに色んなものを売りに来る。食堂車で作った肉まんのようなものから、干物のようなもの、ビール、お土産まで。一つ後ろのブロックに座っていた老人二人がお土産なのか、B4サイズくらいの箱のものを4個も5個も購入していた。あまりに沢山売れているので、参加者の一人が好奇心を出して購入していたが、ねじったドーナッツを安い油で揚げてある巨大なかりんとうみたいなもので、油っこくて食べられたものではなかった。あの老人たちは誰にあの油のかたまりを持っていくのだろう。

3月に来たときには、車中から沢山見られたオオノスリも今回は全くいない。油断をしていたら、反対側のボックスの参加者からマダラチュウヒという声が上がった。翼の上面のパターンがはっきりと出ている。確かにマダラチュウヒだ。幸先が良い。今後沢山出るのだろうと思っていたら、実質この1羽だけだった。

北戴河着1245分。駅では既にホテルの人たちが待っていてくれ、荷物を引いて行ってくれた。中国もゴールデンウィークが1日から始まるということで、人出も多いかと思ったが、以前同様駅の周りはひっそりと静まり返っていた。

ホテルに着くと早速食事だった。いきなりワタリガニが出され、ボリュームのある料理が次々と出てきた。昼からビールは出されるし、既に鳥を見に行こうという状態ではない。この日から4日間、ボリュームたっぷりの食事を食べることになった。

昼食後、近くの連峰山へ登る。猛禽類の渡りを見るためである。公園の中には観光客向けの馬が飼ってあったり、遠くでインドクジャクの声がケージから聞こえてくる。昼間だというのに、少し離れた林の奥からコノハズクの声が聞こえる。

急な斜面を登り、見晴らしの良い場所に陣取り、タカが飛ぶのを待つことにする。近くの松の木の周りを小さな小鳥が飛び交っている。ムシクイのようだが動きが素早く、よく見えない。近くの藪木に止まったところでよく見てみると、カラフトムシクイであった。腰や眉斑の黄色が鮮やかだ。「フィフィフィフィ・・・」というゴジュウカラに少し似たさえずりが聞こえていたが、どうやらカラフトムシクイだったらしい。カラの仲間も多く目に付いた。シジュウカラともう一種はハシブトガラらしい。シジュウカラは日本のものと少し声が違っている。さえずりもやや単調だ。

 肝心のタカの渡りの方だが、アカアシチョウゲンボウの雌、チゴハヤブサが1羽ずつ飛んだが、天気のせいもあるのか、渡らなかった。

 4月29日、この日は午前中七里海、午後は洋河と決める。天気は薄曇でぱっとしない。小雨すら降りそうだ。七里海は潟湖と防砂林のある探鳥地で、シギ・チドリ類、カモメ類、小鳥類など様々な鳥が見られる場所として知られている。

 朝食を済ませ、七里海へ。バスの運転手は中国式にクラクションを鳴らしながら、どんどん車を追い越していく。七里海には漁港があるのか、網を引いている人々の姿が目に止まる。車を降りて、鳥を見ていると、好奇心の強い人たちが集まってきた。覗いても良いと言わなくても、勝手に覗きだすし、落ち着かない。ゆっくりとシギ・チドリ類を見たいところだったが、早々に防砂林の方へ歩き出す。

 海風がきつく、歩いていても肌寒い。鳥の出も悪く、あまりぱっとしない。コホオアカが群れていて、ホオジロ類特有の明るい声でコーラスをしていたくらい。田んぼの脇から干潟を見ると、シギ類に混じってカラシラサギやハシブトアジサシも見つかった。遠くてはっきり見られないのが残念。耕作地からウズラが4羽続いて飛び出す。ここは前にもウズラが出現しており、かなり普通に生息しているらしい。

 防砂林の藪でシロハラホオジロのオスが出現。白黒のコントラストの効いた顔はいつ見ても楽しい。沢山いるムシクイ類はカラフトムシクイにキマユムシクイ。この他、シベリアアオジ、シベリアジュリンなどが出現した。

 昼食後、今度は洋河の河口へ。淡水性のシギ類や開けた環境に住む小鳥を期待したが、小鳥類は残念ながら外れ。干潟に七里海と同じようにシギ類、カモメ類。カンムリカイツブリの夏羽個体が数羽沖合いに浮いていた。

 ホテルの構内は静かで、ヤツガシラ、ヤマゲラ、アカゲラ、ムシクイ類、カササギなどが時折姿を見せる。カササギは相変わらずどこでも多い。少なくとも中国北東部で一番目にする機会の多い鳥ではなかろうか。カササギの尾をさらに長くしたサンジャクも容易に見られた。長く伸びた尾の先端はややかぎ状になっている。Blue Magpieの英名の通り、青灰色、黒、白の羽に赤い嘴が美しい。

 夜、敷地内でコノハズクの声が遠くから響いていた。

 4月30日、朝から小雨。とりあえず食事を終えて、恒河へ行ってみる事にした。しかし、着いて早々雨風も強くなり、広い恒河の河口では鳥を見づらくなってしまった。残念ではあったが、30分ほどで退却、時間つぶしに市内に立ち寄り、地図を探す。まともな縮尺の地図のない中国では、観光地図のような中途半端なものでも見つけるのは大変である。今回も秦皇島市の地図をようやくみつけただけだった。

 その後、小さな雑貨店に入ってみた。ビールに混じって、中国の紹興酒や長城ワインが売っていた。長城ワインは後で皆で開けたが、あまり熟成をさせておらず、どこまでもフルーティーな味だった。色々な駄菓子が売っていたので、好奇心で買ってみる。Oishiという怪しいブランドのチップスみたいなものを買って、後で開けてみたら、案外普通の味だった。

 ここで買い物をして支払おうとしたら、店員が電卓をたたくと同時に音声が出てきた。いちいちどの数字を打ったのか、音声を発する電卓らしい。妙なものがあるものである。

 昼からは雨が上がったので、連峰山へ行く。しかし、相変わらず風が強く、山頂まで行ったものの鳥は出ない。結局1時間半ほどで諦め、再度恒河へ。現地に着いたら、ヨーロッパ系のバードウォッチャーのグループが先に見ていた。シギ・チドリ類が沢山下りていたが、オオタカが見事に散らし、数は減ってしまった。それでもアカアシシギ、セイタカシギ、タカブシギ、オジロトウネンなどが見られた。デンマークからきたというバードウォッチャーがゴビズキンカモメを河口の干潟で見つけたと言ったが、皆あまり乗り気ではなかったので、見に行かないことにした。

 5月1日、今日も薄曇。結局北戴河滞在中、好天に恵まれることがなかった。朝から七里海へ行くが、あまり鳥の出入りがなかったようで、一昨日と出現種がほとんど変わらない。キマユホオジロ、ほとんど夏羽に変わったシベリアジュリンが収穫。

 午後は三度連峰山へ行くが、こちらは全く飛ばず。連峰山では結局全くタカの渡りを目にすることがなかった。

 夕食を食べて、秦皇島駅から汽車に乗る。ソフトスリーパーの車内は日本の寝台車よりは綺麗だが、トイレの汚いのはやはり中国の汽車。結局あまり寝付けないまま、長春の駅に到着した。

 5月2日、長春でローカルガイドと会い、一旦長春駅前のホテルで休憩、朝食。北戴河と比べると食事がやや塩辛い。北へ来たことを実感。

 8時前に長春の駅前を出発。旧満州国の首都だった街らしく、当時の面影を残す建物があちこちに残る。雨が少ない土地らしく、空が砂塵で煙って見える。聞くと長春の水不足は深刻で、昨年は断水もあったという。

 

 車は長春の街を離れ、徐々に郊外へ出て行く。ポプラ並木の向こうはとうもろこし畑という景色が延々と続く。風が強い土地柄なのか、ポプラの並木は軒並み同一方向へ傾いて生えている。途中でディーゼル(柴油と書く。ガソリンステーションのことは加油駅と書いてあった)を足し、単調な景色が続く中、バスはスピードを上げる。途中の道はほとんど有料だったが、建設費を使用料から補っているらしい。長嶺のごみごみとした街では、市や屋台をあちこちで見かける。大八車を逆にしたような、荷車が前についたのはタクシーなんだそうだ。三輪タクシーにはちゃんと屋根がついているが、こちらにはない。自転車でのんびり人が漕いでいる上に客が乗っているが、短距離には良いんだろうか。

 長嶺から先はますます生活の臭いのしない景色が続いた。気がつくとモンゴル系の人の姿をそこかしこで見かけるようになっていた。太平川を過ぎると、泥で作った家が目に付くようになった。窓ガラスの代わりにビニールを貼ってある家が多い。それなのに、ちゃんとTVアンテナがついている。ここまで奥にもテレビは普及しているらしい。

 向海着は12時過ぎ。なにもないところに、突然小さな集落が現われ、それから我々の泊まる国税賓館が見えてきた。建物はまだ新しく、築2年だそうだ。部屋にシャワーがないので訪ねると、内陸ゆえ、水道が来ていないのか、決めた時間にだけシャワーを使えるようにしているらしい。

 食事は長春以上に塩辛かった。ここへ来て、ついに淡水魚の鯉が料理に出てきた。

 昼食後、向海自然保護区の中へ。バスで砂質状の半砂漠へと入っていく。広大な湿地が無数に点在しており、セイタカシギ、カンムリカイツブリ、タゲリ、ダイシャクシギなどの姿があちこちに見える。雄大な景色は見ごたえがあるが、鳥はやや遠い。

 夕方、ホテルに戻り、6時過ぎから夕食。その後、参加者が交代でシャワーを浴びるが、水の使用量を制限しているだけあって、お湯がしょぼしょぼしか出てこない。これでは浴びない方がましである。翌日は結局誰も使わなかった。

 53日、夜はポプラ並木が轟々と音を立てるほど、強い風が吹いていたが、朝には風も治まり、空も晴れ上がり、暖かくなった。自然保護区のレンジャーは、午前中にコマホオジロとノガン、午後にツル類を探しに連れて出してくれると言う。

 朝食後、舗装路をそれて、バスは轍を走り出す。保護区内に住む人が農作業用に利用したり、レンジャーたちが使う以外は使われないのだろう。地元に詳しいレンジャーの案内なのに、時々道に迷う。どうやら、大風で砂が移動して道がなくなったりして通れないところが所々に出来ているらしい。

 こんな道をはしっていたら、そのうちスタックすると思っていたとおり、案の定スタックした。レンジャーがスコップでタイヤの周りの砂をどけ、皆でバスを押す。近くで遊んでいた子供たちが手伝いに来てくれた。参加者の一人が脱出したお礼にミルクキャラメルをあげていたが、モンゴルの人たちはいつも同じような乳製品ばかり食べているので、「おいしい」という言葉すらないと聞いた。長春まで350km、長嶺まで200km以上もあるこのような僻地の子供たちはキャラメルを食べ物と認識するのだろうか、味はどう感じるのだろうか。

 スズメとムクドリとカササギ以外、あまり陸鳥が出ないで油断していると、大型のモズが視界に入ってきた。バスを止めさせて観察するとオオカラモズと判明した。ケリらしきものが飛んでいると思ったら、上面の灰色が見えてアカアシチョウゲンボウのオスと判明。低空飛翔をして虫を捕まえたり、地上を歩いたりとゆっくり観察させてくれた。この他、公園内でよく見かけたのはオオカラモズ。木の枝先にとまり、じっとしていることが多かった。

 コマホオジロが生息するという場所は内モンゴル自治区に入ってすぐだった。内モンゴルに入った途端、景色は背丈の低い草原に変わった。まだ千キロ以上も離れたモンゴルの景色を思い起こさせるような雄大な景色である。レンジャーの孫氏は丹念に草原内を歩き回ってコマホオジロを探すが、ノビタキが一羽いたくらい。残念ながら空振りに終わった。


コマホオジロ生息地付近にて。ただただ、だだっ広い・・・

 昼食を取りに一旦国税賓館へ戻る。これだけの僻地なので食材も限られているのだろうが、時たま不可思議なものが食卓にのぼる。最も驚いたのは、梨のトマトケチャップ和え。茶梨をさいころ状に切って、トマトケチャップを和える。それだけのもの。味の方は推して測るべし。なにもないとはいえ、こんなものを一品として出してくるとは・・・。

 昼からは再び広大な公園の中へ。タンチョウがいるという湿地は葦の茂った湿地だった。なるほど、地平線のはるかかなた、陽炎の中にタンチョウがいる。よく見ればチュウヒが飛んでいたり、サカツラガンの姿もある。でもどれも遠すぎる。この他見られたのは、ダイシャクシギ、ツバメチドリ、アカハジロなど。

 5月4日、風が強く、探鳥を中止し、早々に長春へ戻ることを決定する。たまたまフライトがあったこと、参加者のことも考慮し、汽車を飛行機へ振り替え、フライト時間までを長春の市内で過ごすことにする。向海で満足にシャワーを浴びれなかったこともあり、長い人では4日以上も風呂を使えないことになる上、ずっと乗り物に乗りっ放しになり、元々のスケジュールでは疲れがたまるように思えた。

 午前8時にバスは向海を出発。途中、2回トイレ休憩をする。中国の公衆トイレは独特で、赤レンガかコンクリートの小屋に男女別々に敷居がされており、敷居の中に入ると用を足すための溝があるだけだ。当然ながら、前に使った人の排泄物は残っており、丸見えである。

 我々が一人ずつ順番に入っていると、現地ガイドたちが「どうして皆一緒に済ませないんですか?」と聞いてきた。先に述べたようなトイレなので、スペースも狭く、とても複数以上の人が一緒に用を足せるとは思えないが、彼らは他人とトイレをシェアすることを躊躇しないという。あの汚いトイレで彼らは前後に並んで用を足すのだろうか。

昼食後、吉林大学構内の御土産物屋へ足を運ぶ。他にも観光客が来るのか、どんどん積極的に日本語で売り込んでくる。少しでも手に取って見ようものならすぐに寄ってきて、売り文句を喋り始めるので、皆辟易する。

 その後、長春市内の百貨店を少しだけ覗く。ブランド物の化粧品やバックが一階に並び、階を上がると衣料品、玩具が置いてあるなど、構成は日本の百貨店とさほど変わらない。食料品売り場を覗いてみると、お茶のコーナーだけにずいぶん広いスペースを費やしている。さすがは中国だ。駄菓子売り場には日本でお馴染みのグリコの製品が並んでいた。プリッツにエビ味があったので、好奇心半分に買ってみた。XO醤に海鮮醤と一体どんな味なんだろうか。

 長春空港を18:00過ぎに出発。たかだか1時間ちょっとの距離なのに、機内食のサービスがあった。中に餡の入ったクロワッサン、ケーキ、チョコレート、ソーセージ、ザーサイ(なぜか、パッケージに「日本の味」と書いてあった)と、なんとも奇妙なメニューだったが。

 北京到着19:30。途中食事を済ませ、この日はBeijing Rainbow Hotelに宿泊。三日ぶりのまともな風呂は気持ちが良かった。

 鳥の方は結局正味6日間で約110種あまりを観察したが、北戴河も向海も鳥との距離が遠く、消化不良気味だった。

 5月5日、最後に早めの昼食を取る。高級な店らしいが、食材にヘビの類が並んでいるのは驚かされた(もっとも、出ては来なかったが)。中国人は好きなんだそうだ。高級店なのは良いが、トイレに何個も小さなテレビが並んでいるのはどんなもんだろう。妙なところで贅沢をしてみせる中国人らしさを改めて見せられた。

 空港の入り口で一週間一緒だったスルーガイドと別れ、長かった旅行も終わった。

- 終わり


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