カンボジア探訪

20024610

 この2年ばかり関わっている湿地目録事業の一環として、カンボジアでワークショップの開催が決まったのは昨年の秋のことである。カンボジアというと、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが行った大虐殺、シアヌーク殿下のいい加減な態度による内戦の悪化による混乱など、あまり良いイメージが浮かばない。私の所属するWetlands InternationalLower Mekong Basin事務所を通じて、最近の状況を聞き知っていたものの、あまり出張先としては気乗りしなかった。

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 前日の日帰り出張の影響もあって、眠い目をこすりながら関西国際空港へ向かう。土曜日ということもあり、バスはいつもよりも多くの人で埋まった。連休を前倒ししようという人もいるのか、ヨーロッパでどうこうという話が聞こえてくる。今春の異常気象の影響もあり、阪急茨木から近畿自動車道へ向かう道沿いの桜も既に葉桜だ。夜店の準備が行われていたが、葉桜の下の花見とはやはり味気ない。

 関空のタイ航空のカウンターは隅っこに設けられていた。チケットを受け取り、預ける荷物もないので、カンボジア入国に必要な証明写真とコンピューターをつなぐためのプラグを買いに行く。プラグは2ピンタイプのものだと分かるまで一苦労。確かにカンボジアへ行く人はそういないだろう。

 タイ航空への搭乗はこれが2回目。さすがに「カモ葱」の日本人は乗客だからか、乗務員の質は以前にKLから乗ったときよりも良い。使用機種はボーイング777だが、鬱陶しいパーソナルテレビが座席の背もたれに着いていない。おかげでさほど狭さを感じず、座席も硬くて比較的快適だった。上映映画は「ハリーポッターと賢者の石」。映画そっちのけでオッサン連中が後方で宴会をやっている。ああいう下品な日本人相手にマナーもなにも気にする必要ないのにとも思ったが、彼らが気前良くお金を出させるようにする東南アジア人の方が一枚上だろうと思い直した。

 バンコク到着15:00過ぎ。前にも感じたが、バンコク空港は大きすぎていけない。同様に大きいKLIAやチャンギほどデザインがうまく行っておらず、トランジットするのに少しまごつく。プノンペン行きの搭乗口はまたしても隅っこの3番搭乗口だった。ここでKLのスタッフのFloraDavid(前者はインド人、後者は中国人だが)、タイ事務所のAsaeと会う。バンコクからプノンペンへの飛行機は国内線同様の737400。小さい・・・。前方と隣は日本人家族らしい一団。20歳前後の女性が4人に中年女性が3人、それに中年の男性が1人。聞こえてくる会話が妙で、中年女性と男性はタイ語だかクメール語だかを話している。20代の女性たちは日本語を話しているのに奇妙なものを感じていたのだが、どうも中年女性と男性は東南アジア系らしい。若い女性たちが中年女性たちに対してかなり汚い言葉を繰り返し吐いていたが、どういう関係の人たちだろう。たった1時間のフライトなのに、なんと食事つき。クルーたちはのんびり食事を配っていて、肝心の入国の書類を着陸態勢に入ってから配る始末。うーん、やっぱりこのええ加減さは東南アジア・・・。

 プノンペンのPochentong空港は小さかった。搭乗口が5つしかない。ゲートを出て、とりあえずビザ所得にとっとと歩く。ビザはわずか5分で発行された。20ドル(観光客用)は少し高い。空港の外に出ると、看板を持ってホテルの人が待っていてくれた。ずいぶん沢山の人が出迎えに集まっている。プノンペンはなんと右側通行。行き交う車はほとんどトヨタのカムリだが、左ハンドル。隣のタイもマレーシアも左側通行(ベトナムはどうだろう)で、小さなカンボジアで右側通行の理由は今ひとつよくわからない。街には125ccクラスの小さなバイクが沢山走っている。4人乗りは当たり前で、大人5人が乗っているのすら見かけた。ホテルに着いたのは午後7時前。チェックインを済ませ、一緒に着いた人たちと食事に外へ出る。Boeng Kak Lakeの湖岸にあるレストランへ。カンボジアはこれから正月を迎えるそうで、正月の飾りつけが色々されていた。ヒッピーもどきの白人が沢山集まっている。かねがね思うが、白人たちの旅行のパターンというのは両極端で、リゾートホテルにこもりっきりで海外に来ているのにコンチネンタルブレックファストを食べて、CNSを見ているような連中か、白いはずのTシャツを赤茶色に染めて、カーキ色の大きなリュックを背負い、酸っぱい体臭を発しながらバッグパッカーズを泊まり歩く輩かどちらかだ。常に欧米至上主義の前者には嫌味を感じるが、レオナルド・デカプリオの「ビーチ」宜しくいまだにアジアにパラダイスを求めている連中にも戸惑いを感じてしまう。さて、少し話がそれてしまった・・・。機内食を2回も食べた関係であまり空腹を感じなかったので、卵&チーズサンドイッチをオーダーした。30分待ってもこず、中華炒めの方が先に来るにあたって不信感を持ったのだが、やってきたサンドイッチを見て驚いた。楕円形の皿いっぱいの山型パン(6枚切り相当の厚さ)に融けて固まったチーズと目玉焼きが2個乗っていた。これはサンドイッチとちゃうやろ!オーダーしたビールの瓶を見て、マレーシア事務所の友人Muruと「Anchorビールやん?」とよく見たら、「Angkor(アンコール)ビール」だった。しかもロゴの形も色も少し似ている。うーん、紛らわしい。

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 時差ボケなのか、5時半に目が覚める。日本なら7時半だ。好奇心も手伝って、朝の散歩に出かける。ホテルの外に出るとバイクに乗った人たちがやたらに声をかけてきて鬱陶しい。後で気づいたが、彼らはバイク・タクシーのようなものだった。裏通りでは天秤棒を担いだ女性が野菜や果物を運んでいる。イギリス大使館の前だというのに、ガードマンが男性を呼び止め、ココナッツ採りをさせている。大通りではバイクに乗った人たちが街の中心の方へ向かっていく。時々、トライショーも見かけた。ホテルに戻って朝食。メニューを見るとなぜか、中華粥とかナシ・ゴレンなどおなじみのメニューが並んでいる。とりあえず、中華粥をオーダー。後から来たFloraはパンとコーヒーを、AlvinAmerican Breakfastをオーダー。Floraがオーダーしたパンは普通のバケットの半分のサイズのものが出てきた。「少なめ」とオーダーしてあれでは、American Breakfastはどんなのが出てくるのかと思っていたら、小さいウィンナー2切れ、薄切りのハムの4分の1サイズのものが2切れ、それにゆで卵が2個だった。カンボジアではアメリカ人というのは少食という印象でももたれているのだろうか。

会議の前に近くのガソリンスタンドまで飲み物を買いに行く。オーストラリア産のBeliのジュースやら、タイ産のDANONのヨーグルトやら売っている。コンタクト洗浄用の精製水のようなものが売っていると思ったら、ミネラルウォーター。なんとも愛想の悪い容器だ。

この日は一日会議。会議が終わったのは夜の8時前。疲れたので早々に部屋で休むことに。部屋でテレビをつけると、隣国のタイのみならず、台湾、中国、韓国の番組をやっている。毎回日本のアニメの人気には感心させられるが、今回の滞在中、中国語、タイ語などに翻訳された、「スラム・ダンク」、「ドラえもん」(一発で変換できたところからして、Wordも少しは賢くなったらしい)、「忍玉乱太郎」、「ちびまるこちゃん」、「ドラゴンボール」などなど。

4月8日

 8時過ぎから会議が始まるため、この日は部屋で朝の時間をのんびり過ごす。部屋から外を見ていると、上半身裸の子供たちが裏通りでサッカーだかセパタクローだかしている。イギリス大使館の向かいの建物では、中年の男性がベランダの手すりに腕をついてしきりに腹筋をしている。シャワーを浴びて髪を乾かして外を見たら、まだやっていた。

 この日から2日間はワークショップ。カンボジア政府の高官がお見えになる。会議では活発な意見交換がなされたが、無事5時前に終了。夕食は主催側のレセプション。ホテルを6時半に出発し、メコン川を渡る。メコン川に懸かる橋は”Friendship Bridge”と呼ばれ、日本からのODAで建設されたものらしい。まぁ、確かによく利用されているようだから、無駄金にはならなかったようだが。橋の真中に数箇所小屋があり、警官らしき人の姿が見える。一体なんのための警備なんだろう。

 夕食はメコン川岸のレストラン。中に入るとミスなんたらみたいなシルクのドレスにたすきのようなものをぶら下げた女性が目立った。よく見ると全てビールの銘柄だ。どうやら単に給仕係の女性らしいのだが、自分がぶら下げてるたすきのビールの銘柄を売りつけていうようだ。中央には大きなステージがあり、とっかえひっかえ地元のポップスらしいのを歌っている。さて、肝心のメニューだが、残念ながら「これこそカンボジア料理」というものはなかった。地元のスタッフが食べ方を教えてくれたメニューは生の茄子を細く切ったものなどの生野菜を、豚バラ肉となにかをニョクマムのようなもので炒めたもので巻くというもの。タイ料理やベトナム料理におなじみのニョクマム系の匂いが鼻につく。食事の後、ラオス政府の人が地元の踊りをタイの女性にしきりに教えている。手の平を返しながら踊る踊りはバリの舞踊でもそうだが、東南アジア特有のものだろうか。

4月9日

 朝ご飯は気分を変えてチキンライスを頼んでみる。出てきたチキンライスは単なる蒸し鶏とご飯で、香草の香りもない。どうやら粥を頼むのが一番無難らしい。

 会議は午前中で終了。環境大臣(?)の挨拶の後、国歌が流れる。仰々しいがカンボジアの行政側にも喜んでもらえたということだろうか。

 昼からは内部関係者のみの会議。3時まで時間があったので、MuruAsaeとタクシーでロシアン・マーケットへ。街の中心に向かうにつれ、交通量が増えてくる。YAMAHATOYOTAなど日本企業の看板が時々目に飛び込んでくるが、結構カンボジアまで来ている日本企業も多いのだろう。ロシアン・マーケットとはいうものの、ロシア製品が置いているわけではなく、VCDDVD、音楽CD、ばったもんの時計、銀製品、シルク製品などが狭いスペースに置かれている。いかにもアジアの市場っぽく、胡散臭くて楽しい。物貰いが多いが、彼らの中には片足、時には両足のない人が時々見受けられる。地雷を踏んで足を失った人たちなのだろう。数年前まで内戦下にあったという国の状況を実感させた。少し外に目をやるとバナナフライや果物を並べて売っている女性たちの明るい笑い声が聞こえるのとは対照的だ。

 ホテルに戻るのにタクシーを探したが見つからない。仕方がないので、少し危険だとは思ったが、バイクに乗せてもらうことにした。案の定、バイクは車の間を縫うように走る。右折してきた車とすれすれの所を通り抜け、バイクを掴む手に力が入る。カンボジアは乾季の真っ只中で一番暑い季節らしい。バイクに乗っていてかかる風が熱い。道はまだ舗装されていないところも多く、土埃が舞い上がる。ホテルに戻って手を洗ったら水がたちまち茶色く濁った。

 午後から最後の会議を終え、夕食はMuruや中国事務所の人たちとホテルの近くのレストランへ。昨日のレストランよりも多く、ビールの帯をした女性が「ウチのビール買うて!」と言わんばかりに寄ってくる。皆で「何事やねん!」と言ってたが、ビールを頼んだら、直ぐにいなくなった。訳が分からん・・・。中国事務所の陳氏が色々中国語でオーダーしていたので、何を頼んだのか聞くと「よく分からん」。さすが中国人・・・。それでも出てきたものはどれも及第点の味で皆満足。


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 最終日。朝食は今朝も中華粥を食べ、9時に空港へ向け出発。同じフライトに乗る人が7人おり、ワンボックスの中はいっぱい。空港へ向かう道中、道路沿いで色々なものを売っている。面白かったのはフランスパン(バケット)を至る所で売っていたこと。カンボジアは以前フランスの植民地だったのだろうか。インドの首相が来ているそうで、"Long Live India, Long Live Cambodia!"という垂れ幕が下がっている。

 空港でボーディングを済ませ(今時珍しいマニュアルのチケット)、空港税($20)を払い、出国審査を済ませてしばらく免税店を覗く。クメールルージュ時代の拷問のイラストが描かれたTシャツが売られていたが、趣味が悪い。

 1時間のフライトの後、バンコクに到着。2時間後、関空に向けて出発し、4日間の短期出張が終わった。


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