アメリカ東海岸探鳥記

1997年4月26日 - 5月3日


Hermit Thrush (チャイロコツグミ), MA, US

半年以上前、当時オ−ストラリアから戻ってきたばかりの私は、日本のやたら人の多い探鳥地に出かけること辟易していた。そもそも単に鳥を見るのに、なぜ数十人の人と一緒に見なければならないのか、人のいない国立公園や保護区での探鳥に慣れてしまった私には耐え切れなくなっていた。アメリカ行きを思いついたのは、一昨年の11月にケアンズで会ったJan Peter-Smith氏(以下ヤン)がしきりに訪問を勧めていてくれたからだ。彼は ボストン近郊のMarbleheadという所に住んでおり、春の渡りを見るのに最適の場所が近くにあると言っていた。早速彼に連絡を取ることに決めた。

 せっかくの旅行を一人で楽しむのももったいない。オ−ストラリアの派手な鳥たちを見た後に、誰に話してもあまり芳しい反応が得られず、喜びを半減させられた覚えがあったので、やはり誰か一人くらい連れていった方が良い。都合の良いことに、大学時代からの友人で、今は大阪に勤めるK君は、通常ゴ−ルデン・ウィ−クは全休になる。そこでまず彼に連絡を取ることにした。案の定、仕事次第とは言うものの、二つ返事で参加したい旨を伝えてきた。

 アメリカのヤンには手紙を送り、案内を請う旨を伝えた。ヤンは3月からパプア・ニュ−ギニアに休暇を取って、一か月も鳥を見に行くので、全日程の案内は無理だと言ってきたが、部屋の提供と休日の案内を喜んで引き受けてくれた。現地のガイドプラス無料宿泊施設を得たからには、行かずにはおれなくなった。来る日々に備えて、図鑑を眺め、見たい鳥をピック・アップした。この段階で、少しの観光旅行という計画は立ち消えになって しまった。

4月26-27日

 4月26日は全国的に晴れ上がった。混雑を予想した関西新空港はガラガラで、ボ−ディング、出国とも待たずに済ますことができた。

 今回のフライトはノ−スウェスト航空を予定していた。特に気に入っていたわけでもないが、所要時間が短いのは、現地での時間を有効に使えて良い。H.I.Sに勤めていた友人は「まぁ、人それぞれの評判やな」と言っていたが、気にしていなかった。彼の言った意味がわかったのは、搭乗してすぐだった。「なんやコレ、乗務員みんな年寄りやん」。というわけで、なかなか強烈な印象の数十年前はきれいだったかもしれないスチュワ−デスのバアサンは、いきなり離陸前にコップを割って、空港職員を呼ばないかんし、先行き不安な旅の始まりとなった。12時間以上のフライトとなったが、楽しみが先に控えているため、なかなか寝つけない。Kは実質初めての国際線に少し戸惑いがあるらしく、飲み物や夕食のオ−ダ−にもこちらが通訳して、「なんでもいいんですがね」と日本語で返事を返してくるような状態。どないして、答えろっちゅうねん?まぁ、それにしても、日本線ならば、日本語のできるスタッフをもっと用意しておくべきである。白人のスタッフでさえ日本語をしゃべるアンセット・オ−ストラリアはともかく、ユナイテッドやキャセイでも複数以上日本語のできるスタッフが乗っていたのに。

                                                                                                                                                                
 12時間のけだるいフライトを終え、今度は国内線の乗り継ぎである。乗り継ぎ地となったデトロイトの空港の恐ろしくでかいこと。AからGまでウィングがあり、それぞれに15か所ずつゲ−トがついている。当然ながら徒歩のみでの移動では大変であり、空港内専用に、ゴ−カ−トのような電気自動車が走り回っている。空港の中で用を足そうとトイレに入ってみて驚いた。大きい方の個室にドアがない。まぁ、好き好んで人が用を足しているのをしげしげ見る人はいないとはいえ、落ち着かないことはないのだろうか。それともこちらの人は用を足しながら、会話でもするのだろうか?

 約3時間の待ち時間の末、ボストン行きの国内線に乗り換える。Northwestの手際の悪さにはここでも驚かされた。搭乗手続き用の自動改札機が無く、職員が手でちぎりながら乗客を誘導しているので、たかだか767クラスの飛行機の搭乗に30分もかかっている。余談ながら、帰りの国際線の便では、搭乗に45分強も時間を費やしていた。

 1時間弱の短いフライトの後、ボストンに到着。空港を出るとすぐ、Janに会うことができた。ひさしぶりの対面ではあったが、まず、彼のパプアの成果を聞くことになった。彼曰く、「パプアはまだまだ簡単に行けるところではない」そうだ。訳のわからない虫に刺されて、ピンポン球サイズに足が腫れたり、ゲリラの内戦にかちあったり、大変だったようである。それでも、そんなところまで鳥や動物を見に行く奴も大概だと思うが。

 彼の家はボストン空港から30分あまりの所にあるという。交通量はだんだん少なくなり夜ながらも郊外に入ってきたことがわかる。車中、今回の旅行の日程について話し合う。明日の日曜と月曜は彼はオフだそうで、丸一日つき合ってくれることになった。火曜日は午前中のみ、水曜、木曜は未定で、木曜はおそらくMaine(メ−ン)州へ行くことになるという。最後の金曜は彼の友人が案内してくれることになっているそうだ。

 アメリカなので当然ながら車は右側通行である。これがなかなか精神衛生上良くない。右左折時に違和感を覚える。Janが「水曜日、お前が運転してどっかへ行ったら」と提案して きたが、マサチュ−セッツまできて車と相撲を取る気もせず、しばらく考えてみるとだけ返事をした。

 ボストン郊外にあるMarblehead(マ−ブルヘッド)は海岸沿いの小さな街だ。主要幹線道路からはずれているこの街は、人口も2、3万人程度しかいない。家は皆古く大きく、50年以上は立っているという彼の家でも新しい部類に入るのだそうだ。しかし、よく手入れがされていて、どの家もそんなに古くは見えない。ヤンが、「これからちょっと散歩に出かけるけど、どうだ」と聞くので、丸一日飛行機に乗っていて、体を動かしたかった私は賛成した。彼の家に近くに今は廃線になった鉄道の跡があり、近所の人の散歩コ−スになっているのだそうだ。「Eastern Screech Owl(アメリカオオコノハズク)がいるかも しれないが、ちょっと問題があって」。「何が」と聞くと。「いや、スカンクとアライグマが夜になると出てくるねん」。「スカンクはともかく、アライグマのなにが問題なんや?」。「あれはなかなか凶暴で、噛み付かれたらややこしい病気を持っているし、まぁ近寄らなければいいだけなんやけど」。というわけで、足元と物音に注意を払いつつ、散歩に出かけることになった。5分程歩いて彼が立ち止まった。「スカンクが少し前にいたらしい」。なるほど、確かに臭い。肝心の主の姿は見当たらないのだから、相当前に残していったもののようだ。人間の屁とは少し系統が異なり、化学薬品のような匂いである。スカンクは動作が鈍いらしく、また、屁をこく前に必ず足踏みをして、逆立ちをするんだそうで、それから逃げても間に合うそうだ。また、匂いがついたら、レモンをかけると取れるんだそうである。それでもやっかいな動物に違いなく、彼の隣家の人が納屋に住み着いた8頭のスカンクを取り除くのに、専門の人間(こんな職業があるのも笑えるが)を呼んで、600ドルあまりを払ったらしい。結局この晩はスカンクの屁のみで、フクロウには会 えずに終わった。明日からは5時起きということもあり、草々にベッドに入った。                                                                                                                                                            

 早朝5時ともなるとまだ外は薄暗い。アメリカは既にサマ−タイムになっており、実質4時である。軽い食事をとり、近くの保護区へ向かう。途中海岸沿いで車を止め、海上を浮かぶ鳥を見る。カモ、カモメの仲間に混じって、Common Loon(ハシグロアビ)の美しい姿が目に飛び込んでくる。ハシグロアビは黒緑色の頭、首の白黒の縦じま、白い胸、白黒チェックの背面、黒地に白の水玉模様の脇がおしゃれなカラス大の水鳥で、「ル−ン」という寂しげな声で鳴くところからLoonという英名がつけられており、マサチュ−セッツのナンバ−プレ−トにも描かれているアメリカ北部おなじみの鳥である。繁殖は内陸の大きな湖沼で行うというから、まだ渡りの途中なのであろう。

 車に乗って約10分で保護区に到着した。ここの保護区は大手自然保護団体のオ−デュボン協会が管理しているらしい。早朝でひんやりした空気の中から、多くの聞き慣れない声が聞こえてくる。繰り返し大きな声で鳴いているのはCarollina Wren(ミソサザイの一種)。まだ芽吹き始めたばかりの木のてっぺんから声が響いてくる。バフ色のおなかだけがじっくり見える。「ヒ−、ヒョ−」ともの寂しい声で鳴いているのはWhite-throated Sparrow(ノドジロシトド)。白黒ストライプの頭部が印象的だが、陰気な鳥でやぶから 出てこない。池の近くでは時々紫や緑に光る真っ黒な羽を持ち、変わった尾羽をしたヒヨドリ大のCommon Grackle(写真右)をよく見かけた。「ギシ−ッ」という戸のきしむような変な声で鳴き、以下「ギシ」とか「ギシ鳥」と呼ばれることになった。

 池の周りの木でうろうろしている小さな鳥が目についた。頭と腰、脇は鮮やかな黄色をしており、白い眉、喉、腹以外はおおむね灰色の鳥が双眼鏡に入った。Janに聞くと

Yellow-rumped Warbler(キヅタアメリカムシクイ)であるという。アメリカムシクイは 日本にも棲息しているムシクイの仲間(ウグイスに近縁)とは異なり、分類学上はホオジロに近いとされる。羽色は非常にバラエティ−に富んでおり、全身ほとんど黄色のProthonotary Warbler(オウゴンアメリカムシクイ)やYellow Warbler(キイロアメリカムシ クイ)から、白黒模様のBlack-and-White Warbler(シロクロアメリカムシクイ)、黒と オレンジを貴重にしたAmerican Redstart(ハゴロモアメリカムシクイ)までさまざまな 色調をした種が棲息しており、人気が高い。動作はムシクイ類そっくりのものが多いそうだが、中にはゴジュウカラのように木を上り下りできる種(シロクロアメリカムシクイ)やセキレイのように水辺を好む種(Louisiana Waterthrush: ミナミミズツグミ)など、ムシクイとは似ても似つかないものもいる。いずれにしても今回の大きな目的にしていた種群であったので、いきなりの遭遇に驚いてしまった。ここでは池の反対側でもう一種のアメリカムシクイ、Palm Warbler(ズアカマツアメリカムシクイ)に出会えた。

 池の裏側の木に真っ赤な鳥が止まっているのが目につく。ショウジョウコウカンチョウ(Cardinal)だ。真っ赤な上に頭部に冠羽があり、印象の強烈な鳥である。これもいたって普通の鳥らしく、Blue Jay(アオカケス)共々、庭先でおなじみの鳥である。見た目ばかりでなく、声もなかなかのもので、カナリアをもっと大きくしたような声で、庭先にはヒヨドリなどさえない鳥しか来ない日本に住む我々日本人二人は、アメリカ人が少しうらやましく感じた。

 Janが「あの家見てみ」と指さす方向を見るとマガモが2羽屋根の上に止まっていた。 マガモそのものは日本でもおなじみの鳥であるが、屋根の上にいるのなんて見たことがない。何とも奇妙な光景である。

 再び海上に目を向けると、ホンケワタガモ(Common Eider)の群れ、Surf Scoter(ア ラナミキンクロ)、ハシグロアビらが見つかった。ダウンジャケットの羽毛にその羽を利用されるホンケワタガモは、カエルのような変な顔をしている。それにしても鳥が多い。人家の軒先をうろうろしている赤い鳥がいる。House Finchだ。こんな鳥が日本の庭先に 出たら大騒ぎだろう。テレビアンテナの上にはMockingbird(マネシツグミ)が座っている。他の鳥の声をまねるのがうまいらしい。日本のカケス、モズ、オ−ストラリアのコトドリなど、どうして他の鳥の声を取り入れる種がいるのだろう。コトドリに至ってはチェ−ンソ−の木を切る音まで取り込んでいたことがある。

 Janの提案で、次の場所に移動する。High Wayに乗って、Newbury Portという所で降りる。Plum IslandというWildlife Refuge(保護区)が次の目的地らしい。天気は良いが、風が強い。この大西洋からの風がやけに冷たくすっかり体が冷えきってしまった。Plum Islandは広大な湿地で、金属光沢のミドリツバメ(Tree Swallow)やPurple Martinが飛びかい、カナダガンが至る所に浮かんでいた。葦の穂先には真っ黒で赤い羽根を持ったツグミ程の大きさの小鳥が沢山止まっていた。Red-winged Blackbird(ハゴロモガラス)と呼ばれるこの鳥は、「ホゲ−」としか聞こえない間の抜けた声でよく鳴き、後にやはり普通種のGrackleが「ギシ」と呼ばれるように、「ホゲ」と名づけられた。

 このPlum IslandにはPiping Plover(フエコチドリ)と呼ばれる小さな白っぽいチドリが棲息している。フエコチドリは世界で約2,500番いしか残っておらず、マサチュ−セッ ツ州にはそのうち800番以上いるといわれる。砂質の海岸はいかにも4WDなどに向いて おり、この鳥が繁殖期に多大な影響を受けてきたことを容易に想像させた。フエコチドリは簡単に見つかった。動作は結構緩慢で、これでは数が減ってもしかたなく思えた。現在フエコチドリはアメリカ全土で法的に保護されており、本種のひなを引き殺すなどしてしまった場合、罰金として日本円で約20万円も支払わなければならない。鳥一羽のことに日本では信じられない話ではあるが、それなりの成果が挙がっているらしい。

 この島で見たものでもう一つ印象に残ったのは、ビ−バ−の巣である。沈んでいる部分はわからないが、目に見える大きさだけで直径2mはあろうか、ヨシの茎を使って、マウンド状の立派な邸宅を作っている。あいにく主はお留守だったが、見ごたえがあった。

 昼食にはサンドウィッチを買い(やはりアメリカンサイズで大きい)、午後は風の影響の少ない内陸に移動することにした。途中で鮮やかな黄色と頭の黒が印象的なAmerican Goldfinch(写真左)を見た。後でわかったが、これも普通種。Ipswichにある保護区に到着した。保護区の餌台にはSavannah Sparrow(サバンナシトド)や、American Goldfinchらが集まっており、訪問者の目を楽しませていた。牧場の境界の林縁部には巣箱が置いてあり、ミドリツバメが飛び交っている。遊歩道に沿って歩いていると、好奇心の強いBlack-capped

Chickadee(アメリカコガラ)が目の前まで近寄ってきた。人の手からえさをもらったりすることがあるのか、まったく逃げようとしない。

 遊歩道の奥で青い鳥が飛んだので、止まった方向を見ると、Eastern Bluebirdの雄がいた。上面は鮮やかなルリ色で、顔から腹にかけては赤茶色をしている。隣の木ではシロハラゴジュウカラが餌探しに忙しい。日本のゴジュウカラとは違い、顔は真っ白で、黒い頭が印象的だが、木を上り下りするところは同じである。

 池のそばに設けられた観察塔からはヒメハジロやクビワキンクロなどのカモ類の姿が見られた。林の中からはEastern Phoebe(ツキタイランチョウ)の声が聞こえた。Phoebeという名前はその声からついたのか、「フィ−ビ−」というシンプルな声で鳴く。タイランチョウの仲間は、Flycatcherの英名のとおり、日本でもみられるヒタキの仲間に外見は似ている。しかし、翼の構造が異なるらしく、前進のみでなく後進もするという。ぜひともその飛翔を見てみたかったが、この時は声のみで見ることはかなわなかった。

 ヤンの勧めで夕食はFisherman's workという、大衆シ−フ−ド・フライ屋とでもいうような店で、クラム(ハマグリのような貝)のフライを食べることにする。欧米に行ったことのある人なら見当がつくと思うが、フライというと本当にフライしか出てこない。当然ながら、クラムのフライとチップスだけのメニュ−である。最初は楽しんで食べていたが余りに量が多く、くどいので最後には飽きてしまった。ヤンが「こんなもんばかり食べてるから、アメリカ人は太るんだ」と言っていたが、つけ合わせにコ−ラをガボガボ飲んでるわで、太らない方がおかしい。K君は「とても食べきれない」と言っていたが、10ドル以下でこの量はやはり安いといえる。

 夕食後、帰るのかと思っていたらまだ立ち寄るところがあるという。飛行機の長旅による睡眠不足と、体力不足のせいでクタクタの我々は少しうんざりしていたが、ヤンは一見すべき価値があるという。というわけで連れていかれた郊外の林で見たのは、アメリカヤマシギのディスプレイ・フライトであった。アメリカヤマシギは日没直後に林から飛び出して鳴きながら高くらせん状に舞い上がり、ある程度の高度(100mくらいではないか)まで上がると、一転して急降下する。この動作をある一定の時間繰り返すが、日没直後でないと見られないらしい。

 

 結局一日で90種近くを観察し、そのうちの55種程が初めて出会った鳥という素晴らしい一日になったが、帰宅と同時にベッドに潜り込むことになった。

                                                                                                                                                               

 4月28日

 朝から雨が降っており、今日は少し控えめにするのかと思っていたら、5時半には出かけるという。雨が降るとまだまだ寒い。日本の感覚では4月上旬くらいだろうか。指が冷たい。

 海岸に出て海鳥を探すのが良いというので、ついていく。ホンケワタガモ、ハジロウミバト、アビ、ハシグロアビなどが見つかる。シロカツオドリが海風にあおられて岸近くまで飛んできた。ダイナミックな飛び込みを見ることはできなかったが、この仲間に初めて会うK君は感動していたようだ。

 場所を変えて岩礁のある海岸に出る。イワシギ(Purple Sandpiper)がへばりついているのを探すのが目的である。海風が冷たいが、雨の方は幸いにも小降りである。海上にはビロ−ドキンクロ、アラナミキンクロらが浮かんでいる。真っ黒な体に、白い目が何とも人相の悪い顔に仕立てているが、「ピュ−」という繊細な声で鳴く。目の前の岩に目を向けると灰色の地味なシギが何羽かいる。何を好んでこんな岩場に住んでいるのかわからないが、本種とチシマシギはこういう岩礁地帯で見られる。波打ち際にいることが多いようだから、動物性のプランクトンか小動物でも探しているのだろう。

 この日もう一種増えたのが、Eastern Meadowlarkである。larkとつくがヒバリの親戚ではなく、BlackbirdやCowbirdに近い。セスナ用の空港で見つけたのだが、扁平の頭、長い嘴、短い尾羽と、何とも不恰好な鳥である。黄色ののどと腹が結構きれいなのだが、不細工な姿の方が印象に残った。

 この日の気温は10度を越えず、寒い一日となった。ランチはNewbury Portのサンドウィッチショップに入る。クラムチャウダ−・ス−プで体を暖める。サンドウィッチはやけに馬鹿でかく、食べきれない。

 ランチの後、彼の友人の勤める職場を訪ねる。ヤン以上のバ−ドウォッチャ−らしい。どんな人物かと思っていたら、案外若い。Kは「チャック・ウィルソンに似てる」と言ったが、彼の貧困な想像力を差し引いても、少し似ていたかもしれない。金曜の案内の確認をとりにいったのだが、彼は仕事で案内できなくなったと言った。チャックもどきとヤンはその代わり明日のスケジュ−ルを話している。聞こえてくる話の内容をKに伝えたら良いものかどうか迷った。彼らは明日、3時半に起きてフクロウ探しに出かけようという。3時半といったら、2時半のことである。つくづくアメリカ人って体力あるなぁと感心した。

 帰宅前に本屋に立ち寄る。郊外型の大型店舗で、雑誌から専門書まで広く取り揃えている。環境科学の専門書の多さにも驚いたが、何より、世界の図鑑を取り揃えていることに驚かされた。一般の書店でスリランカ、ボルネオ、南アフリカ、中東の鳥の図鑑を置いているとは、いったいこの国はどういう国なんだろう。

 3時半に起きると聞かされては早々に眠らざるをえない。シャワ−を浴びて9時には寝てしまった。

                                                                                                                                                                

 4月29日

 3時半はさすがにまだ暗い。朝食はDunkin Donutでとる。アメリカではPolicemanはド −ナッツショップで油を売っているというjokeがあるという。先日ヤンがテレビを見ていたら、あるコメディアンが休暇の最中の話をしていた。「バハマに休暇で行ったんだ。いやあ、なかなか良かったよ。でもクル−ズに乗ったのはちょっと失敗だったかな。船から海に向かって、クル−がド−ナッツを投げるから何だろうと思ったんだよ。そうしたら、次々に警官がド−ナッツを食いに海から飛び出してきたんだ。」

 ヤンの友人レックの家はIpswichの郊外にあった。彼の駐車場の梁にはEastern Phoebe が巣を構えており、彼はシャッタ−を降ろせないと言う。つぶらな瞳のフィ−ビ−が確かに鎮座していた。

 早朝に我々をたたき起こしたのは、フクロウが塒に戻るのを探すためという。レックの家の周りには3種類のフクロウがおり、運が良いと見られるという。また、シチメンチョウ(Wild Turkey)も棲息しているらしい。彼が我々を連れていったのは墓地の裏である。最初彼はテ−プを流して反応を見ていたが、次には自ら大声で「ホッホッホ−」と鳴き真似を始めた。鳴き真似そのものは欧米のバ−ドウォッチャ−はよく使うのだが、墓地で夜明け前に大声で人が叫んでいる図というのは、やはり奇妙である。彼の努力に反し、残念ながら、フクロウは出てこなかった。

 しかし、このチャック・ウィルソンもどき氏は確かにkeen birderであった。彼は数百 メ−タ−先で鳴いているField Sparrow, Black-and-White Warbler, Ovenbirdなどの声を識別し、確実に見せてくれただけでなく、姿の見づらいVirginia Rail(コオニクイナ)を呼び出して見せてくれた。彼はこの他、House Wren, Solitary Vireoなどを見つけてくれた。Vireoの仲間はモズモドキという和名が与えられている。その変な和名からどんな鳥なのか興味があったが、動きは緩慢、声はシンプル、姿は地味と冴えない三拍子のそろった鳥であった。

 チャック氏はしかし多少不満が残ったらしく、「こんなに春が遅く来るなんて思わなかった」とつぶやいていた。やはり今年の春は少し寒いらしい。

 チャックもどき氏が仕事に出かけ、我々3人はCricket Pondなる保護区に立ち寄ることにした。Louisiana Waterthrush(ミナミミズツグミ)がよく通る声で鳴いているが、姿が見えない。針葉樹の林の奥からはBlack-throated Green Warbler(ノドグロミドリアメリカムシクイ)のゆったりした囀りが聞こえる。3人で探すが、20m以上ある木の樹冠近くにいるらしく、なかなか見えない。ようやく、名前のとおり黒いのどと、黄色い顔が見える。動きが素早く、すぐに視界から消えてしまった。

 さらに森の奥へ歩いていくと、Purple Finchの番いに出会うことができた。紫と名前にあるが、実際は赤という方が近い色である。ご多分にもれず雌は地味で、褐色のまだら模様をしている。

 

 午後からはヤンの仕事の都合でボストンの南のLakesvilleへ出かける。車中アカオノスリ、ヒメコンドルなどが飛ぶ。ヒメコンドルは近年数が増えており、結構街中でも見られるようになってきたという。ボストンの街へ入るために橋を渡る。ボストンは昔ながらの港湾都市とMITに代表される学生の街の印象が重なっている。郊外から見ると、ボストンの一角だけ高層ビルが立っており、すぐにその所在がわかる。学生の数は300万人のボストン地区の内、50万人を占めているという。こんな大都市にもハヤブサが住み着いているのだそうで、シティ・ホ−ルと目されるビルのてっぺんを塒にしているのだそうだ。彼らの狙いはそこら中にいるドバトで、時折その狩りの様子がビル越しに見られるらしい。もちろん食事もビルの屋上でなさるものだから、下を歩いているOLの目の前にドバトの首がポトッと落ちてくるなんてこともあるらしい。ボストンへ出かける時は頭上に注意!

 高速道路は街の周りを循環しており、半周した後南部へ走る高速に出た。ヤンは牧草地で我々を降ろした後、workshopに出席するため出かけていった。この牧草地にはUpland Sandpiper(マキバシギ)が棲息しているという。彼の言ったとおり、マキバシギはすぐに見つかった。羽の色は地味だが、長い足と翼により、少し変わった体型をしている。他に目についた鳥は、扁平頭のmeadowlark、眉の黄色い以外これといった特徴のないサバンナシトドなどで、あまりぱっとしない。人家の近くの林でMagnolia Warbler(シロオビキイロアメリカムシクイ)を見かけるも、すぐにいなくなってしまう。

 夕方、仕事の合間をぬって、ヤンが迎えに来てくれる。時間も結構遅かったので、会議の会場の事務所で時間をつぶす。連日の早起きで居眠りをしていると、ヤンが帰ろうという。眠くて仕事にならないかららしいが、まぁ毎日4時起きじゃあ眠くもなる。

 夜のボストンはライトアップされ、周りの町の闇と対照的であった。

  4月30日                                                                                                                                                               

 この日はヤンの仕事のため、半日を近くのMarblehead Neck自然保護区で過ごすことになった。明け方は冷え込んで寒かったが、日が昇ってからは気持ちよい陽気になった。時期的にも渡りが本格化してきて良い頃だったが、見られた鳥からはまだまだその雰囲気は受け取れなかった。ただ、昨日は声しか聞かれなかったLouisiana Waterthrushを間近で見ることができた。この鳥はアメリカムシクイの仲間に属するが、姿も仕草もタヒバリ類に似ている。Swamp Sparrow(ヌマウタスズメ)もようやく姿を見ることのできた種である。赤茶色の頭部が特徴なのだが、近似種のChipping Sparrow(チャガシラヒメドリ)などとさほど外見的に違いはなく、面白味には欠ける。Hairy Woodpecker(セジロアカゲラ:写真左)は小型のDowny Woodpecker(セジロコゲラ)よりも数は少ないが、姿はほとんど同じである。写真を撮ったのだが、大きさのわからない写真では、どちらがどちらなのかわからなくなりそうだった。

 海岸には早くも日光浴をしに多くの人が集まっていた。まだまだ寒いように感じたが。

 昼からは疲れもたまっていたので、家に戻って休憩をした。庭先には時折アオカケスや ショウジョウコウカンチョウが水浴びにやって来た。驚いたのはキヅタアメリカムシクイやPalm Warblerまでやって来たことである。Northern Flicker(キツツキの一種)は芝生の上で日光浴していたかと思うと、突然水浴びを始めた。後でこの話をするとヤンは、一日に15種ほどのアメリカムシクイが庭を通過していったことがあると言った。また、ある晩庭 を歩いていたのら猫が突然硬直したので、猫の目線の方を向くと、Eastern Screech Owlが 電線に止まっていたという。


 5月1日       

 月が変わって初日はMaine州まで、ヤンの仕事に便乗してついていくことになった。ここにはヤンの家族が住んでおり、彼の実家のまわりは森に囲まれていて、ム−ス(ヘラジカ)やコヨ−テも棲息している。単純にいえば、田舎なのだろう。

 メ−ン州はマサチュ−セッツ州との間にニュ−・ハンプシャ−州をはさんで北に位置する。各州日本の都道府県よりも個性があり、南北戦争で負けた南部諸州の人は未だに独立に対する恨み言を述べるらしい。また、南部ではいきなり知らない人が訪ねて来て、宗教に関する話を延々としていくことがあるらしいが、マサチュ−セッツでそんなことをすると、警察を呼ばれるらしい(当たり前の気がするが)。マサチュ−セッツは治安の良い州で、彼の住んでいるMarbleheadでは、20年に一度くらいしか殺人事件がないらしく、住民が警察を呼ぶのは、近所の子供がやかましいとかスカンクを動かしてくれ程度のことだという。一度、夫婦げんかをした家から警察に電話がかかった。旦那が奥さんをサボテンで殴ったので、旦那は拘留され、サボテンは証拠として押収された。しかし、一週間して奥さんの気も 変わり、旦那は釈放され、サボテンも家に返されたのだそうである。何とも平和な話だ。メ−ン州は田舎のため、血縁結婚が多く、奇形や精神病患者が比較的多いという。あるレストランの奥さんがある日、旦那に12発の銃弾を浴びせて殺した。裁判で、この女の人は旦那が日頃から虐待していたことを主張し、無罪になった。無罪になったことも意外だが、その後この店には以前の倍の客が訪れるようになったということもすごい。「晩飯はそこ行こうか」とヤンが提言したが、季節はずれで店を閉めているようだった。

 メ−ン州にはまた、雄大な自然が残っている。鹿の仲間で最大級のヘラジカはメ−ン州では普通で、 車との衝突の問題が起きているという。高速道路に飛び出してきて、車と衝突するらしいのだが、ダメ−ジを受けるのは車の方で、シカは何事もなかったかのように道路を横切っていくのだそうだ。

 1時間半のドライブの後、メ−ン州に入る。彼の実家は人家もまばらな森の外れにあった。ログハウス風の家は彼の弟が建てたという。建坪は70坪はあろうか、勾配天井になっていて中は広々としている。この広い家に彼の弟夫妻と母親が住んでいる。今日はこの家のまわりを散策した後、保護区まで連れていってもらえることになっている。

 家のまわりではEastern Bluebirdのペアがうろうろしていた。どうやら巣をかける場所を探しているようだ。森の中からはNorthern Waterthrush(キタミズツグミ)の囀りが聞こえてくる。マサチュ−セッツよりも更に北に位置しているためか、季節は更に1週間戻ったような感じがする。もう一週間もすると、庭にはRuby-throated Hummingbird(ハチドリの一種)がやってくるそうだ。家の軒先ではフィ−ビ−が巣をかけているのか、うろうろしている。家のまわりを散策していると、野犬の死体らしいものが転がっている。なんか違うと思ってみてみると、コヨ−テではないか。こんなもん、家のまわりをうろうろしてるんかいな、と驚かされてしまった。

 昼食の後、ヤンのおばさんに保護区まで送ってもらうことになった。ヤンにも「君が代わりに運転した方がいいと思う」と言われていたので、「運転大丈夫ですか」と聞いたのだが、構わないというので、おまかせすることにした。駐車場でバアさんが来るのを待っていると(当然車には鍵がかかっていると思ったので)、のんびりと「鍵は開いているよ」と言われてしまった。アメリカやのに随分平和なんやとつくづく感じた次第。

 このおばあさん、確かに車の運転が危なっかしく、「おやおや、うっかり車線を間違えてしまったわ」なんていいながら、左側の車線を走りかけたりして、「大丈夫かぁ」と不安にさせ られた。

 保護区は湿地とその周辺部の林を中心に整備され、立派な木道が湿地のまわりを循環している。オ−プンランドでは猛禽類たちが狩りに忙しい。アメリカチョウゲンボウはここでも何羽か見られたが、日本のチョウゲンボウよりも小型で、動きも敏捷である。中型のク−パ−ハイタカは大きさ以外、小型のSharp-shinned Hawkによく似ている。

 寒さのためか、湿地にはほとんど鳥影もない。すっかりお馴染みになったカナダガンの姿があるだけである。森の中から大きな声が聞こえたので、よく茂った杉林の中に入ってみることにした。考えられるのは大型のキツツキである。ほどなくPiliated Woodpeckerがみつかった。アメリカで最大級のこのキツツキはあまり数が多くないらしい。頭の赤と冠羽がインディアンのモヒカンを思い起こさせる。「昔、北斗の拳とかにこんなキャラクタ−の奴が出てきてたなぁ」などと下らぬことを思いながら、その迫力にみとれてしまった。

 我々が散策を終えて戻ったら、バアサンは車の中で園芸の本を読んでいた。例のキツツキを見たと話をすると「オヤまあ、すごいわねぇ」とえらく感心されてしまった。他にどこかへ行くかと聞かれたが、時間も時間だし、変に事故を起こされてもやっかいだったので、戻る旨を伝えた。バアサンはそれでも途中、レイチェル・カ−ソン保護区に立ち寄ってくれた。レイチェル・カ−ソンとの関係を聞くと、「ない」と言われた。ここにはどういうわけか鳥影が少なかった。彼女の遺言とかでわざとDDTでも撒いてんのちゃうやろか。

 無事に生きたまま森の家に戻り、再びヤンの実家のまわりを散策する。日本のツバメよりも艶やかなミドリツバメの光沢ある背面が時折目の前を横切る。アメリカムシクイの小群に出会うが、ほとんどがキヅタアメリカかズアカマツアメリカである。牧柵にフィ−ビ−に似た鳥が止まっている。よく観察すると、尾羽には白い帯があるし、頭は黒い。どうやらEastern Kingbird(オウサマタイランチョウ)らしい。

 夕食はヤンの実家でとり、その後はMt. Agamenticus(インディアンの言語から来ているらしい)へ登った。この周辺では一番高い山というが、せいぜい400mくらいであろう。山頂へ登る途中でヒメコンドルが数羽上空を通過していった。渡ってきたばかりなのか、群れていた。

 ここでの目的は2種類あり、一種は日本でもお馴染みのワタリガラスで、もう一種はクロジによく似たDark-eyed Junco(ジャンコと読む:ユキヒメドリ)。ジュンコと発音するのだとばかり思っていたので、まぁ随分かわいらしい?名前だと思っていたが、ジャンコというとイタリア料理でトマト・ソ−スでも上にかかっていそうである。キツツキの仲間で

Flicker(フリッカ−)というのもいるが、こいつはなんだかコイケヤあたりから出ているジャンク・フ−ドの名前みたいだ(そういえば、フリッタ−なんて料理もあったっけ)。

 ユキヒメドリは山頂の草地であっさりと見つかった。濃いグレ−と白いおなかだけで何の特徴もない鳥だが、嘴の淡いピンクが印象的だった。派手な鳥も良いのだが、シンプルかつ地味なデザインのこの鳥は、我々日本人にはかえって上品に見えた。


5月2日

 実質の最終日。前日の晩に見逃している種を確認し、Clicket Pondからまわる方が良いと判断した我々は、4時半に起きて現地に向かう。相変わらず朝は寒く、鳥の動きも鈍い。遠くでシチメンチョウ(Wild Turkey)の声が聞こえるが、姿は見えない。かなり臆病な鳥らしく、大きい図体の割りにお目にかかる機会は少ないようだ。

 毎日つくづく感じていたことだが、リスの仲間によく出会う。あいにくほとんどが移入種のシマリスとヨ−ロッパ産のリスだが、中にはアメリカ原産のRed-tailed Squirrelも見られる。彼らは「タッ」とか「ツ−」という鋭い声を出すので、その存在を知るのは非常に容易である。

 森の奥ではノドグロミドリアメリカムシクイの涼しげな声やOvenbird(ジアメリカムシクイ)の慌ただしい声が響いている。この数日の間にOvenbirdの群れが到着したらしく、あちこちで声が聞かれた。

 地響きがするような「ドドドドッ」というのは、Ruffed Grouse(エリマキライチョウ?)。こちらも姿は期待できない。とても鳥の声とは思えない音は、翼動によって出すのだろう か。春のおとずれを告げる地鳴りといった感じである。

 ヤンが急に立ち止まった。Blackburnian Warbler(キマユアメリカムシクイ)がいるという。真下から見上げて、やっとのことでオレンジ色の喉を見つける。下からだから、顔はさっぱり見えない。すぐ近くではノドグロミドリアメリカムシクイが慌ただしく動き回っている。この二種は同じような環境で住み分けをしているらしく、前種は樹冠で、後種はそれよりやや低い部分に棲息するという。

 三度Newbury Port近郊を訪れ、アメリカヒバリシギ数羽、アメリカオオハシシギ5羽、ア メリカイソシギ一羽に出会う。日本では珍しいオオキアシシギはこちらでは普通種で、50 羽単位の群れを観察することも珍しくなかった。アオアシシギよりも優雅だが、「チョ−、チョ−、チョ−」と三音で鳴くところはアオアシそっくりであった。この日はコキアシシギも数羽見られたが、なんだかオオキアシを少し小さくして、嘴を短くしただけで、面白みはまるでない鳥だった。

 昨年の正月明けに日本で大騒ぎになったミカヅキシマアジとはようやくこの日出会うことができた。この鳥はマサチュ−セッツでは夏鳥で、ようやく渡ってきたばかりらしい。 至近距離で見ると首が長く、オナガガモのように水中で逆立ちして餌をとっていた。

 早めの昼食をサンドウィッチ・ショップでとる。ロブスタ−サンド$5.95の看板に誘われたのだが、これが大当たりだった。伊勢エビに似た味で、とにかくうまい!こちらでは安いものらしく、シ−ズンでは一尾$5程度だとか。昔は肥料に使っていただけだというから、もったいない。

 ヤンが仕事に出かけた後、Marblehead Neckのいつもの公園に立ち寄る。あいにくアメリカムシクイは少ないものの、Gray Catbird(ネコマネドリ)とBrown Thrusherに出会えた。

どちらもマネシツグミの仲間だが、Thrusherは長い尾と下に曲がった嘴が特徴の鳥で、ネコマネドリは灰色の体に赤茶色の尾筒が目立つだけの地味な鳥である。東南アジアのチメドリの役割を果たしているのではと推測していたが、多少は当たりのようで、やぶの中が好きらしい。Thrusherは和名ではツグミモドキという。アメリカはこの「モドキ」が多く、ムクドリモドキ(Oriole)やモズモドキ(Vireo)なんていうのもいる。しかし、モドキじゃあまりにもセンスが悪い。山階さん、もうちょっと頭をひねってもらいたいのである。

 夕方、ヤンが帰って来た後、初日にスカンクの屁の匂いを嗅いだ道をもう一度歩く。夏にはルリノジコが繁殖するというが、憧れの全身青い鳥はまだ来ていない。

 キヅタアメリカムシクイ(写真下)の群れに混じって、Northern Parula(アサギアメリカムシクイ)の灰青色の体が目に飛び込んでくる。他にシロクロアメリカムシクイも同じ群れに混ざっており、昨日の風で渡ってきたようだ。池の近くではYellow Warbler(キイロアメリカムシクイ)にようやく出会う。アメリカムシクイの仲間でも最も数の多い種のひとつと聞いていたが、この2日あまりの間にやっと渡ってきたのだろう。全身黄色で赤茶色の筋が脇に入る著しく目立つ鳥である。

 学校の芝生の上に大きめの鳥がいると思ったら、フリッカ−だった。名前も変だが、芝生の上を散歩するとは、キツツキらしくない奴である。

 この日は中華料理店に行き、成果のあった旅行に祝杯をあげた。店のオヤジがKに何度も「年はいくつだ?」と聞いていたが、未成年に間違われたらしい。この旅行中、ヤンには随分世話になった。正直自分たちだけでは半分も見つけられていなかっただろう。彼は今年の年末にフリークエント・フライヤーのタダ券で日本に来るつもりらしい。今度はこちらが面倒を見てやる番だろう。とりあえず感謝の意を伝えたら、「まだ、明日の朝があるよ」と言われた。彼は最後の最後まで鳥を見せてくれる気らしい。

                                                                                                                                                                

 5月3日 

 すっかり慣れてしまったが、5時に起きる。残念ながらMarblehead Neckには新しい鳥は入っていなかった。しかし、海岸近くの湿地でMarsh Wren(ヌマミソサザイ)を見つけ、最後の最後に一種増やす。

 カナダガン、オオキアシシギ、キンヒワらに別れを告げ、ヤンと再会を約束し、恐ろしいほど単純な出国手続を済ませ、全然買っていなかったみやげを少し買って、飛行機に乗り込んだ。Kがボストンのマカダミアン・ナッツとかいううさん臭いものを買ったら、メイド イン・オ−ストラリアと書いていた。なかなかあくどい商売である。「だまされるのは、我々日本人だけだろうか」とKは言っていたが、台湾人、韓国人、中国人も同じ轍を踏むことだろう。

 帰りの車中、カナダの湖沼群上空を通過する。まだまだ雪が残っており、春は1か月も先に見えた。

 関西空港の中に入ったとたん、生温かい風を受け、日本に帰ってきたことと梅雨が間近に控えていることを感じた。結局一週間の旅行で、約145種を観察し、そのうちの90種以上を 新たにライフ・リストに加えられた。次回はアメリカムシクイの渡り見物とルリノジコ、アカフウキンチョウらに会いに出かけたい。もっともいつのことになるかわからないが。


‐完


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