マラウイ旅行

2003年7月


Böhm's Bee-eater(ズアカハチクイ) Liwonde National Parkにて


 新しい職場に異動してから、今まで以上に海外に出る機会が増えた。オマーン、ウガンダ等、通常ならあまり縁のない国に行ったのだが、今回の訪問国マラウィは、普通であれば全く縁のない国ではないだろうか。マラウィがどこにあるのかと聞かれてすぐに答えられる人はおそらくほとんどいないだろう。マラウィは旧イギリス領ローデシアの一部で、隣接するザンビア、ジンバブエとは兄弟国にあたる。南北900kmと細長く、東側に位置するマラウィ湖が国土の2割と大きく占めている。世界最貧国の一つとみなされ、GNPは170ドルほどである。オカバンゴ湿原のあるボツワナ、ビクトリアの滝のあるジンバブエ、ザンビア等、周辺諸国と比較して、これといった観光資源もないのだが、このような状況とは別に日本から多大な支援が行われていることを知っている人もいるだろう。あまり知られる機会もない国だろうから、目にとまったことを記していきたい。

1日目 成田 - Singapore

 今年はたまたまなのか、関東の梅雨というのはこういうものなのか、7月も半ばになるというのに、梅雨寒の涼しい日が続いている。今日も湿度はやや高いものの、気温は恐らく25度を上回っていないだろうか、風がひんやりと冷たい。SARSの騒ぎがやや治まったのか、成田はツアー客でにぎやかだ。それでも、出国に手間取ることもなく、手持ち無沙汰になったので、ラウンジで時間を潰す。
 18:00、成田出発。シンガポール行きだというのに、767-300というかなり小さな飛行機で驚かされる。これもSARSの影響なのだろうか、おそらく地方路線を飛んでいた機材を客足の退いたシンガポール路線に使用しているのだろう。それでもエコノミーには空席が目立つ。


2日目 Singapore - Johannesburg - Blantyre - Limbe

 1時間半ともともと乗り継ぎ時間が短かった上、先のJALの到着が遅れたため、時間が少なくてやや焦ったのだが、難なくトランジットを済ますことができた。チャンギ空港内のターミナル間の接続の良さは予想以上で、30分ほどラウンジで過ごす余裕まであった。
 ヨハネスブルグ行きのシンガポール航空はほぼ満席状態だった。かなり白人が目立つが、南アフリカの人たちなのだろうか。午前1時35分、定刻に離陸。

 ヨハネスブルグ着午前5時50分。大きさ、近代的な設備に圧倒される。気温はなんと摂氏6度。南アはスキーのできる国だとか。一度荷物を受け取るためにわずか5分ばかりの入国を済ませ、荷物を受け取った後、出国。空港内の店にサファリ関係のものが多く、なかなか面白い。ダチョウの卵をペイントしたものを売っていたが、一体誰が買うんだろう。ビッグファイブのTシャツを売っていたが、プリントの質が今一つ。アイデアは面白いが。

 ヨハネスブルグからは小型の南アフリカ航空機。ゲートの案内では、前のフライトのルサカ(ザンビア)行きのままになっていて、少し混乱している。どこかの白人のオッサンが、「ちょっとスペルが違うけど、ブランタイヤって書いてあるんやんナ!」と冗談を言っていた。2時間半のフライトでブランタイヤへの着陸体制に入る。しかし、窓の下を見ても、街らしい街もなければ、舗装された道すら見えない。大丈夫なんかいな…。

 ブランタイヤは恐らく今までに訪れた国際線のどの空港よりも小さかった。入国は小さな机を前に、丸椅子に座った審査官が4人おり、スタンプを押してくれた。続いて、荷物の受け取りだが、トラクターの後ろに運んでこられた荷物が受け取り場所から丸見え。どこまでものどかである。

 空港の外は案外気温が低い。15度もないかもしれない。空港を出て最初の印象は殺風景ということである。土壌が貧弱で、雨量も多くないため、あまり色々な植物が育たないのだろうが、目立つのは植林されたユーカリくらい。また、気温が低いせいなのか、単調な環境のせいか、鳥がほとんどいない。結局この日確認した種は、Pied CrowとAfrican Bulbulのみ。

 景色も単調なら、農作物を作っている畑も少なく、同じアフリカのウガンダと比べると、寂しい印象をぬぐえない。自分の偏見も入っているかもしれないが、なんとなく、活気に乏しいように見える。

 ホテルにチェックイン。コロニアル風のちょっと古めのホテル。60ドルくらいなら、まぁ仕方がないか。螺旋階段の脇には、木彫りの人形が置いてあり、どこか無国籍だ。

 夜は近くのレストランで食事。魚とチップスとカールスバーグ、それにトマトスープをつけた。ウガンダのような値段の高さは感じないが、それでも一人700クワチャというのは、こちらの人にするとかなり高い金額に違いない。しかし、マラウィに来て、カールスバーグとは。よく見ると、こちらで作っているらしい。ラベルはそのまんま、コペンハーゲンになっていたが。

3日目 Blantyre 近郊

 前日とは違い、青空が見える。窓の外では、Pied Crowとセキレイらしからぬ甘いさえずりを持つAfrican Pied Wagtailが鳴いている。朝食はチーズオムレツ。パンはパサパサであまり美味いものではなかったが、全く味のしない紅茶よりはましだった。3つあったフルーツジュースのうち、どぎついピンクをしたのはグアバ、マンゴかと思われたオレンジ色のジュースは柑橘系かとも思われたが、正体が分からなかった。

今日から4日間はフィールドワーク。しばらく舗装された道を走った後、Lunzuの町でこちらの担当者を拾った後、未舗装の道に入っていく。ウガンダの時もそうだったが、道路沿いで遊んでいる子供たちが車を見上げ、手を振って追いかけてくる。大声で走り寄ってくる姿は、かわいらしいものである。マラウィは4月に訪ねたウガンダと比較しても、一目で貧しいというのが良くわかる。とにかく、土地がやせこけている。イネ科の雑草が生えている以外、草らしい草もほとんどない。実際、マラウィは昨年雨季の訪れが遅く、食糧不足に陥ったそうだ。冬場ということもあり、枯れ野の風景と共に、どこか暗い雰囲気が抜けない。

季節のせいもあるのか、鳥が少ない。フィンチの仲間をたまに見かける以外は、あまり鳥がいない。川沿いの畑では、Crimson-rumped WaxbillやRed-billed Quelea, Yellow-fronted Canaryの姿を見かける。Cordon-bleuを見かけたが、Red-cheekedだろうか。分布からすると、やや南すぎるような気がする。(あとで調べたら、Southern Cordon Bleuで、別種だった)

この日は5村落を回って、帰りにLunzuのマーケットを覗く。マラウィでは北部で普通に米を作っているとかで、キロ35クワチャで売っている。台湾人が広めたのだとか。さすがにマーケットでは、いんげん、スナップエンドウ?等の豆類、サツマイモ、ジャガイモ、長いも(?)、coco yamと呼ばれるサトイモのようなイモ、キャベツ、トマト、バナナ、タンジェリン等が所狭しと並んでいる。卵は1個7クワチャ。米に比べると、まだまだ高い。山と積まれた野菜を見ている分に、食糧不足という状況は見えてこないのだが…。

 マラウィの本当の問題は植民地時代から続く、モノカルチャーにあるのかもしれない。この国は以前、イギリスの支配下でタバコを植え、紅茶を作ってきていた。しかし、土壌の貧困なこの国で、条件の良いところでタバコや茶を植えたら、住民はどうやって暮らしていくというのだろう。農業の最大の強みは、自分たちの食べるものを自分たちで作られることである。余剰作物を近隣の集落で販売するというのが、農業の基本であろう。商品作物ばかり作って、自給型の農業をやめてしまえば、商品作物が売れない限り、自分たちも食料を買うことができないことになる。そこで、干ばつなり洪水なり起きれば、現金収入の道が閉ざされることになり、一気に食料不足問題へと発展してしまう。また、換金作物に頼る経済ということは、その作物の価格が下がった場合に国の経済が丸ごと傾くということである。農作物が主産物では、産油国がやる掘削量の調整ということもできないだろう。ということは、例えば、タバコであればアメリカ、紅茶であればイギリスのような先進国の企業の意向に左右されかねないということになる。極論になるが、換金作物に国の経済を頼っている限り、植民地時代とほとんど変わらないことになる。少し堅苦しい話になってしまった。

 晩飯は中華料理。野菜炒めを頼んだら、コールスローを炒めたようなのが出てきた。焼き飯はまさに焼き飯で、白いご飯を炒めてあるだけだった。それでも、繁盛していて、外人が店を埋め尽くしていた。中華料理は偉大である。

4日目

 6時起床。昨日とは違い、空はやや曇っている。今日の朝飯はスパニッシュ・オムレツ。タマネギが沢山入っていて、なかなか美味い。ここのウェイトレスは仕事に慣れていないのか、オーダーしたものと違う物を持ってくる。分からなくなって、そこらへんの客に「これ、あなたの?」と聞いては、首を振られている。オーダーしていないトマトが乗っていたが、まぁいいか。

 リコンファームのため、マラウィ航空の事務所へ。なんと、朝の7時半から営業している。えらく勤勉な会社らしい。「ケニア航空の方も確認した方が良いよ」と言われたので、次はケニア航空の事務所のあるホテルへ。駐車場の前でTrumpeter Hornbillのペアを見つける。こんな街中にいるとは驚きだ。大きさは日本のカラスくらい。嘴の上に大きな突起がついている。ケニア航空の事務所はメリディアンホテルの中にあった。ブランタイヤでは一番良いホテルだそうだ。黒人の宿泊客も見かけるが、こんな高級ホテルに泊まる人はどんな身分の人なんだろう。国連機関や先進国のドナーのためのホテルなんだろうな。

 この日も野外調査へ。最初に訪れた村では、事前にアレンジされていたのか、村人から祝福を受ける。この後訪れた村でも同様に祝福を受けたのだが、たいした仕事をしにきた訳でもないのに、恥ずかしくなってしまう。
 面白いことに、農業活動が順調にいっている村の周りには鳥が多い。食べるものがあるからなのだろう。午前中回った3か村の周りでは、White-browed Sparrow-Weaver (写真左), Red-billed Quelea, Southern Redbishop, Southern Cordon-bleu等のフィンチの類を数多く見かけた。この他、Yellow-fronted Canary, Chestnut-breasted Rock Bunting等、この日目にした鳥のほとんどは種子食の鳥であった。

 2つめの村では、足踏みポンプの実演を見せてもらった。がたいの良いおばちゃん二人が、腕を組んで腰を振りながら、ポンプを踏んでいる。妙にリズムが良くて、一見すると踊っているようにも見える。
 夜はGreenというレストランでステーキを食べる。medium rareをオーダーしたはずだが、すっかりwell done。ま、こんなもんだろう。以前はテーブルの間隔が広く、ゆったりとした良い店だったらしいが、人気があったのか、テーブル間隔が普通のレストラン並になり、値段も上がったのだそうだ。競争がないということは、サービスの向上にはつながりにくいものである…。

5日目 

 現場見学3日目。今日は問題村長のいる村へ。飲んだくれで、村にはいつもいないという人らしいのだが、その人の家にたどり着くと、トタンの屋根が崩れていた。独身とはいえ、もうちょっと住むところにはこだわった方がエエんやないやろか…。

 川沿いでは、Wire-tailed Swallowが優雅に飛んでいる。相変わらず、細かいフィンチの類は良く目立つ。

 案の定、問題村長はいなかった。どこかで酒でも飲んでいるんだろうか。マラウイの不思議なところは、農業国なのに村で共同で活動を行うという意識に乏しいことだ。畑を新たに切り開くような大人数の作業を必要とするような活動でも、これまでは村単位での活動はなされてこなかったらしい。ウガンダの場合、他の土地からの民族の流入が大きいという背景があり、お互いの民族同士があまり信用しあっていないという背景があり、やはり稲作ですら家族単位で行われていたが、マラウイの場合はそうではないらしい。その反面、多宗教国家であり、村落内でもイスラム、キリスト教等、複数の宗教が入り混じっていても、宗教的な争いには発展していない。

 だいたいの村の雰囲気はつかめたので、この日は3ヵ所、遠めの村を回って終わりにする。5キロ進むのに、10分近くかかるような悪路のため、思った以上に時間がかかった。

 夜はインド料理屋へ。雰囲気は良いが、ナンがイタリア料理のピザみたいに薄い。本場じゃないのに文句を言ったら、罰があたるか。

6日目


Liwonde National Park

 休日。前から楽しみにしていた、Liwonde National Parkへ行く日だ。ツアー会社のガイドMikeがホテルまで迎えに来てくれたのだが、2WDだ。大丈夫なのかと聞くと、道は良いから大丈夫だと言う。天気はどんよりと曇って、今一つだが、雨は降らなそうだ。

 7時半にホテルを出発。まずは、Zombaに向かう。Zombaは植民地時代から1975年までのマラウイの首都で、1999年まで国会議事堂が置かれていた由緒正しき町だ。Blantyreとは違い、緑が濃く、植民地政権が首都にしたのもうなずける。

 イギリス人たちがマラウイにやってきたのは、1800年代にまで遡る。当時、マラリアを避けるため、イギリス人たちは住居を山の中腹以上に建てたのだそうだ。確かに蚊はいなかったらしいが、ヒョウが出没するという環境でもあったらしい。数年前、Mikeの知人の白人がある山の中腹に住んでいたらしいが、夕方の5時でもヒョウが出没したのだそうだ。

 Zombaの町の中で、教会から沢山の人が出てくるところに出くわした。マラウィ人の6割以上はキリスト教徒で、2割がイスラム教徒、残りは土着の宗教に属している。結構熱心な信者もおり、教会のはしごをやるんだそうだ。Zombaの町の外でちょうどその場面に出くわした。沢山の人が4トントラックの荷台に乗っている。見るからに危なっかしい。案の定、昨年は対向車のミラーにぶつかり、1名が死亡、1名が重傷を負ったという事件が起きたのだとか。政府はトラックの荷台に乗ることを禁止しているらしいが、なにせ交通手段の少ないところだから、誰も守らないようだ。

 Liwondeの町を抜けてしばらくすると道は未舗装路に変わる。周囲にはバオバブの木が多く見られ、臨場感が漂う。道路沿いのバオバブには、広告が這ってあった。太い幹は掲示板の役目も果たすようだ。

 国立公園のゲートには、なぜかカールスバーグの垂れ幕が。スポンサーでもやっているんだろうか、なんだか場違いだ。国立公園に入ったところで、すぐにウォーターバックの群れを見つける。大型のレイヨウで、オスの角はやや弓なりに反り上がっている。レイヨウはウシに近い仲間だが、見た目は確かにシカに近い。ウォーターバックは本来水辺を好むのだが、どういうわけか、サバンナに出てきていた。

 しばらく車をゆっくりと進めてもらう。Eastern Paradise-Whydahのオスが枯れ枝の先に止まっている。飛ぶと、長いリボンのような尾羽が印象的だ。尾羽をひらひらさせて飛ぶことで、メスに対してアピールをしているのだろう。それにしても長い尾羽だ。顔から下が綺麗な水色をしたSouthern Cordon-Bleuが藪の中から顔を出す。さらに進んで、鮮やかな色をしたLilac-breasted Rollerが木の枝に止まっているのを見つける。光線状態が悪く、真っ黒にしか見えないのが残念だ。

 ボートの予約をしているとのことなので、まずはボート乗り場へ。途中、車窓からWhite-browed Sparrow Weaver, Brown-winged Wood-Dove, Collared Doveなどを見かける。クーズーのメスがアカシアの木の芽を食べていたが、我々が近づくと藪に入ってしまった。クーズーもニヤラも多いとのことだったが、結局はこのメス1頭だけだった。特にクーズーはレイヨウの仲間でも最も立派な角を持った種なので、ぜひとも見たかったのだが。ケニアでもおなじみだったインパラは、若いオスの群れに出会った後も度々出くわした。個体数が多いのだろう。

 ボート乗り場はロッジの中にあった。Mvuu Lodgeというこのロッジは整備が行き届いている。ヨーロッパ系の白人相手の商売なのだろう。次回来る機会があれば、ぜひとも泊まってみたいところだ。ロッジの裏でハチクイみたいな鳥がいると思ったら、なんとBohm's Bee-eaterだった。オレンジ色の頭と緑色の体がシンプルながらも美しい。長く伸びた尾羽を時々上下に振り、蜂を見つけると飛び上がって捕まえていた。

 ボートは我々だけの貸切だった。船頭の兄ちゃん、Mr. デインジャー(えらい名前や)はライフジャケットの着け方を簡単に教えてくれた後、おもむろにボートを動かし始めた。ここの名物カバさんはすぐに見つかった。茶色っぽい浮遊物が流れているのかと思ったら、カバの鼻と眼であった。しばらく進むと、対岸に再びカバの群れ。今度は数頭いる。遠めには岩にしか見えないのだが、しかし大きい。驚くと、脱兎のごとく、水の中に入っていく。陸の上で休んでいる個体の上には、Red-billed Oxpeckerが沢山へばりついている(写真右)。ウシツツツキならぬ、カバツツキか。

 カバにばかり眼を取られていて、あやうくワニを見落とすところであった。ここに生息しているのは、ナイルワニ。体長5m程度になるものもいる大型のワニだ。動物園で見るワニにあまり魅力を感じなかったので、正直どうでも良かったのだが、実物は実に洗練された体型をしており、水にぬれた皮膚は綺麗であった。CATVでおなじみのオージーの某S.I.氏が、「ワニです!綺麗ですねぇ!」というのも納得がいく。ワニの次はゾウだ。驚かせてしまったらしく、あの独特の声を上げ、葦原の中に隠れて行ってしまった。

 それにしてもカバは多い。初めの内は、「そのうち、またカバや!なんて言い出すんでしょうね」と同行者と語っていたのだが、案の定、カバを見ても、なにも感じなくなった。どうやら、一生分のカバを見たような気がする。動物園に行っても、カバ舎の前に行くのはもうやめよう。

 川沿いには、沢山の鳥もいた。Pied Kingfisher(ヒメヤマセミ)はあちこちの木の上で休んでおり、時々飛び上がっては、別の個体を追いかけたりしていた。同じカワセミの仲間のMalachite Kingfisherは日本のカワセミに少し似た、青い背中をした小さなカワセミだ。カワセミとよく似た、「チー」という声を出しながら、水面すれすれを猛スピードで飛ぶ。水面近くを舞っているのは、Wire-tailed Swallow。赤茶色の頭と黒い上半身がおしゃれだ。よく見ると、長い糸のような尾羽がある。水際の草の上をせわしなく歩き回っているのは、African Jacana(アフリカレンカク)。長い爪を器用に使って葦やパピルスの上を歩いていく。突然、口笛状の声が聞こえたと思ったら、White-faced Whistling Duckの群れだった。Little Bee-eaterは葦の枝先のよく止まっているんだが、警戒心が強く、ボートでも近寄れない。あと少しで、写真が撮れるというところでいつも飛んでしまう。

 1時間ほど下って、再び上流へ戻る。船くだりをしたこのShire川は、ザンベジ川に流れ込むんだそうだ。まだ源流に近いだろうに、ずいぶんと川幅が広い。船着場が近づくと、一時期姿の見えなかった、Wire-tailed Swallowが戻ってきた。なんと、船の梁の部分に巣作りしている(写真左)。よく見ると中央の梁にも、反対の端の梁にも巣をかけている。そんなに住宅事情が悪いんだろうか。狭いところに3軒も並べんでもええやろに。

 船から上がって、ロッジでランチを食べる。おかしな話だが、この国立公園の僻地にあるロッジのレストランが一番マラウイで美味かった。デザートにケーキまでついてきて(これも美味かった)、もう、文句ありません、参りました!と白旗を揚げた気分である。
 私たちが座ったテーブルの傍にはランタナの藪があり、Collared Palm Thrush、African Golden Weaver、さらにはVelvet Monkeyが顔を覗かせた。Palm Thrushのうち、一羽には足輪が着いていたのだが、一体ここで誰が調査しているのだろう。

 昼飯後、もう少しほどBöhm's Bee-eaterに付き合って写真を撮る。同じ仲間のLittle Bee-eaterとは違い、2mくらいまで近寄っても逃げる気配がない。近くの木ではStriped Kingfisherがひっそりと休んでいた。カワセミの仲間では地味な方だが、尾羽の渋い青が目立つ。
 車に戻って、ゆっくりと鳥を見ながら公園ゲートの方に戻る。さすがに昼を過ぎると鳥の出が芳しくない。それでも、Purple-crowned Turaco, Green Wood Hoopoeといったキワモノを見つける。前者は紫色の冠羽、緑色の顔、赤いアイリングに、青い背と翼、飛ぶと赤い風切羽が目立つハトほどの大きさの鳥で、分類学的にはカッコウに近い。後者は赤く長く下に曲がった嘴に、金属光沢のある黒い羽をした鳥で、こちらも約30cmと大きい。 
 ブヨのようなハエのような小さな虫が車からしょっちゅう入ってくる。軽く刺すというのだから、あまりご縁を持ちたくない。Mikeはhippo flyと呼んでいたが、カバにでもたかるんだろうか。

 3時過ぎには入り口まで戻ることができた。ここの国立公園では、10月までは乾季で、どんどん見通しが良くなって行くんだそうが、雨季には数m先も藪に覆われて見えないという。それだけ、雨季と乾季の違いがはっきりしているからであろう。

 帰りの車中で、ガイドと日本車のことについて話をした。マラウィでは、20万キロも走っている中古のカムリがなんと、40万クワチャ(約60万円)!ブランタイヤの一般のサラリーマンでは9000クワチャが月給なんだとか。如何に高いか驚かれることだろう。車は贅沢品らしいのだが、入ってくる車がドバイ経由で中古品なのだから、不当に損をしているように聞こえる。「日本じゃ、10万キロいかない6-7年落ちの中古車が、20万円くらいで手に入るよ」と言うと、Mikeが「うらやましい!」と言っていた。余談になるんだが、日本では今、中古車の下取り価格が益々下がっていて、廃車にすると高くつくことから、放置車輛が増えているが、そういう車を自動車メーカーが集めて、途上国にまとめて売ってはどうだろうか。少なくとも、一部の特権階級の人間しか使わない橋や道路を作るよりも、喜ばれるんじゃないかと思う。どうせ、日本から廃車を持ち出して売っているのは、インド人なんだろうし、二束三文で買ったものを法外な値段で売っているはずだ。中古車を売るついでに、車のメインテナンスの技術指導もやれば国際協力にも繋がるのではないか。

 日本の中古車がそのまんま入っているということは、日本にあった時の名残を残した車があるということ。西濃運輸のハイエースが小荷物ではなく、マラウィのおっちゃん、おばちゃんをぎゅうぎゅう詰めにして走っていたりする。子供服の○川産業という会社の車を2度ほど見かけたが、不景気の中、まだ残っているんだろうかと想像させられたりする。そんな話を同行者のNさんにしたところ、昔、ある国で行われた調査の団員がホームページ上で毎月、「今月のあなたの車」というコーナーを設けていたそうだ。似たようなことを考える人はいるものである。ところで、自分が昔乗っていた車もアフリカのどこかの大地を走っているんだろうか。

 この日の夜はホテルの中で食べる。オーダーしてスープが出てくるまで20分以上、メインが出てくるまでさらに20分、それから紅茶を頼んで出てくるまで30分、領収書を持ってくるまで20分、内容が間違えていたので指摘したら、直したものを持ってくるのにまた20分。なんでカレーとパスタを食べるのにそんなに時間がかかるんやろ…。


7−9日目

 スケジュールを変更したので、この三日間は会議だけになった。

 21日の昼飯はShopliteというショッピングセンターへ。アリババとかいう怪しい名前の食堂でピザを頼む。レジのオッサンがインド人か中東系だったのだが、ピザを10分以内に持ってきた。アフリカらしからぬ、迅速なサービスだ。

 22日は朝から風が強く、寒い一日になった。朝、聞きなれない声が聞こえたので、ベランダに出ていたら、真黄色のAfrican Golden Orioleが止まっていた。

 Blantyre最後の晩飯は中華料理の香港へ。前回、焼き飯を頼んだら、卵と鶏肉が少しだけ絡んだ、炒め白飯だったので、今回は"Special" fried riceにしてみた。早速出てきたのは、焼きソバ色のえらく濃い色の焼き飯。一口食べてみて納得。なんや、おこげやん!今後Blantyreに来る人に忠告。「香港」では、焼き飯を頼むのはやめよう。(とは、言うものの、誰が来るねん)

 23日。今日は朝から雲の流れが速い。Lilongweへの移動の日だったのだが、風もあるし、飛行機飛ばへんのやないやろか、と不謹慎なことを朝から考えていたら、本当に飛行機がこなかった。7時半に着いて早々にチェックインを済ませた後、いつまで経ってもアナウンスがない。そのうち、太ったおばちゃんが出てきて、「すいませんが、Lilongweの天候が悪く、飛行機が遅れています。早くても10時過ぎになる予定です」との案内。白人のオッサンらが携帯であわただしく連絡を取っている。ま、いっか、急ぐわけやなし。

 そうこうしていると、突然、「Lilongwe行きの飛行機が出ます!」というアナウンス。おかしいやん、飛行機着いてへんやん、と思ったら、えらいちっこい飛行機が。おいおい、プロペラ一つしか付いてへんやん!
 中は12人で満員。私たちより先に来ていた白人のオッサンたちは、なんと乗れず。どうすんのやろ、あの人ら…。見た目のアナログさとは違い、フライトは安定したものだった。Lilongweには無事に10時過ぎに到着。ヤレヤレ、ここで飛行機落ちたら、どないしょうかと思った。

 Lilongweの空港は思っていたよりもよほど立派だった。むしろ、普通過ぎてつまらないくらいに。空港の外ではレンタカー会社の兄ちゃんが待っていた。駐車場の周りにはVariable Sunbirdのオスが飛び回っている。緑色の光沢のある頭部と黄色の腹のコントラストが美しい。

 この日の宿泊はKorean Garden Lodgeという、韓国人オーナーの宿泊所。値段は安かったが、Limbeの宿よりも設備は良い。事務所への訪問を済ませた後、荷物を置き、昼食を食べる。宿泊所内のレストランでプルコギを頼む。味はそこそこ美味かったが、プルコギというよりも、肉と野菜の炒め物である。レストランの隣りには小さなプールがあり、その周りの木にはSouthern Cordon-Bleu, Grey-headed Sparrow, Common Bulbul, Variable Sunbirdなどが出たり入ったりしている。Blantyreに比べ、気候が穏やかなことと緑が多いことで、野鳥の数も多いのだろう。

 最後の表敬訪問を終え、ロッジに戻り、シャワーを浴びて一服しながら窓の外を見ていたら、ねぐら入りする前の鳥たちが木の枝先の集まってきた。Fork-tailed Drongo, Collared Dove, Scarlet-chested Sunbird, Southern Lesser Blue-eared Starlingなどだ。一旦、枝先に止まり、しばらくするとどこかへ飛び去って行った。

 夜はイタリア料理店へ。雰囲気の良い店で、味も良かったが、値段もなかなかのものだった。


 10ー11日目 Lilongwe - Nairobi - Dubai - Bangkok



                 Lilongwe国際空港

 日中は暖かかったLilongweだが、朝はかなり冷え込んだ。朝食を取りに食堂へ行ったら、隣のプールでオーナーらしき韓国人のオバさんが泳いでいた。プールからは水蒸気が上がっているが、一体気温は何度だろう。
 前日の夕方ほどは宿の周りに鳥はいなかった。竹藪の中から声がすると思ったら、真っ赤なRed-billed Firefinchのオスが出てきた。これははじめて見る鳥。
 9時前にお迎えの車が来て、空港へ。3時間前に空港に到着し、さすがにゲートも開いていない。仕方がないので、空港の駐車場で鳥探し。なんもおらん、とあきらめかけていた頃、2羽のタイヨウチョウが飛んできた。一羽は腹の黄色いVariable Sunbird。もう一羽は喉の赤の目立つScarlet-chested Sunbird(写真右)。どちらしばらく留まってくれたので、写真を撮ることができた。
 10時半になってようやくゲートが開いた。チェックインを済ませ、出国カウンターへ向かう。入国が小さなカウンターなら、出国も小さい。この小さい国の空港で出国税を30ドルも取るのはやや納得がいかない。
 暇つぶしの売店を覗くが、これといったものは売っていない。Blantyreほどではないが、やはりひなびた空港だ。ラウンジもガラガラで我々のみ。ラウンジというよりも、田舎の温泉旅館のロビーのような雰囲気で、えらい太ったオバちゃんスタッフがいるのみ。誰もこなくて暇なのか、オバちゃんはボーっと座っている。突然、音楽が聞こえ出したと思ったら、オバちゃんが鼻歌を歌っている。これもラウンジのサービスなのか。オバちゃんはよほど退屈なのか、そのうち、ファンタオレンジをラッパのみし始めた。
 空港の外では、Yellow-fronted Canaryがサボテンのてっぺんに止まっている。黄緑色の美しい鳥だが、マラウィではいたって普通に目にすることができた。

 出発は12時半。予想に反して、時間きっちりに出発。2時間ほどでナイロビに到着する。ここでのトランジットがなかなか面倒くさかった。航空会社が違うことと、Emirates航空自体がカウンターを置いておらず、boarding passの発券に延々と30分かかった。パソコンいじれないスタッフをカウンターに置くなよなぁ。空港スタッフの頼りなさから、荷物のチェックができなかったのがやや気がかりだったのだが、その心配はバンコクで現実のものとなる。

 Emirates航空はUAE(アラブ首長国連邦)に本拠を構える会社で、最近人気が高いという。ナイロビからの便はタンザニアのダル・エス・サラーム経由だったらしく、満席になった。エアバスの座席は狭く、快適さではシンガポール航空の777にはかなわなかったが、50本ものビデオのリクエストができるタッチパネル式のスクリーンは初めてだった。食事もまあまあうまいが、もうちょっと中東の個性があっても良いのでは。テラピアの燻製というのはある意味個性的かもしれないが。
 Dubai着0:25。夜中だというのに、気温は34度もある。熱気がゲートまでの通路にも伝わってくる。日中は何度になるのだろう。比較的新しい空港らしく、吹き抜けの天井は開放感にあふれている。驚いたのは人の多さ。しかも、人種が入り混じっている。白人の若いバックパッカーがじゅうたんの上で寝ている脇で、インド系の夫婦が本を読んでいる。こういうのを本当のハブ空港というのだろう。関空が一時期北東アジアのハブ空港を目指すと言っていたが、発着料が世界一高い空港がハブ空港になれるわけはなかろう。
 Dubai発は午前3時を回っていた。早めにゲートに行ったものの、あまりに乗客が多いのに驚かされた。Emiratesは本当に人気の高い航空会社らしい。一日に3機めともなると、もう機内食を食べる気もなくなる。食事はなしにして、映画を見ながらぼんやりと時間を過ごす。"The Core"という映画は如何にもアメリカ臭い映画。なにかの弾みで自転の止まった地球の内部に、原因を究明すべく、学者や軍人を含んだアメリカ人のチームが突入していくという話。ほんな、あほな!な話を真面目にやっている役者を茶化しながら見るのであれば楽しめるが、「インディペンデンス・デイ」、「アルマゲドン」という、アメリカの胡散臭い正義感が嫌いな方には、とても見られない映画だろう。

 Bangkok着、13:15。スムーズに入国が済んだと思ったら、荷物が出てこない。同行者の荷物は出てきたのに…。しばらく手荷物引き取り所で待っていると、タイ航空のスタッフがやってきた。「あなたの荷物、Dubaiで確認されませんでした」あーあ、やっぱり…。しかし、ナイロビで紛失したのなら、厄介なことになるなぁ。
 トランジットで利用したAmari Airport Hotelは第1ターミナルの2階から陸橋でつながっていた。横に長いホテルで、渡されたキーを持ってウロウロ。部屋はどこやねん。
 Bangkokで旧友のM君と会う。しばらく会わないうちにタイ語を話すようになっていた。奥さんはインドネシア人やし、すっかりアジアにそまっている。トランジットの10時間あまりのほとんどを友人との歓談に費やしたため、またしても寝不足のまま、搭乗口ゲートへ。荷物の紛失をBoarding Gateへも申告した後、出国を済ませる。ここからはやや古いJALWAYSの機材。機内では暇つぶしに「シカゴ」という映画を見る。ストーリーはやや暗いものの、ミュージカル仕立てになっていて、エンターテイメントとしてはなかなか楽しめた。

 成田着午前6時15分。とにかく、散々飛行機に乗って、もうとうぶん飛行機を見たくない心境である。成田で再度荷物紛失の手続きを済ませる。ちょうど都合の良い列車がなく、8時過ぎの快速まで待たされた。土曜日の朝だというのに、途中の駅では続々と人が乗ってくる。グリーン車ですら満席になるとは。車内放送で東北地方の地震を知る。

 大船着は午前10時半前になっていた。長引く梅雨のせいか、7月下旬だというのに、風はひんやりとしている。1月から続いた一連の遠征はこれで当分ない。今回の旅行では、短い期間で85種ほどの野鳥を見ることができた。それでも期待していた鳥の半分も見ることができなかったことから、アフリカはまだまだ奥が深い。今度アフリカに来るときはプライベートになりそうだが、そのぶんじっくり時間を使って、多くの野鳥や野生動物にお目にかかりたい。


キリマンジャロ

 - 完 


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