ウガンダ - ケニア(ナイロビ)旅行報告


ヴィクトリア湖の眺め (エンテベ)


 1日目 

 朝からあいにくの雨。資料が詰まった重い鞄を担ぎながらだとバス停までの距離が長く感じられる。大船発8:07のNEXには無事に間に合う。前には新婚らしきカップルが座る。えらいいちゃついていて、朝からうっとうしい。千葉を過ぎると田園風景が広がる。まだ苗の植付けは行われていないが、水を張った風景が春らしい。

成田第2空港駅着10:00。スカイポーターで荷物を受け取りチェックイン。戦争とSARSの影響か、いつになく成田は空いていた。換金を済ませ、することもないのでラウンジへ。ラウンジで調査団員が集合。

 ANAのビジネスはこれまで乗ったどの飛行機よりも快適だった。座席はほぼフルフラットに近く、幅も結構ある。同行のN氏によると、日本−ヨーロッパ線は競争が激しいため、各社良い機材を投入しているのだそうだ。どうあっても機内で眠れない私は、座席の快適さよりも、京風懐石の和食の方が良かった。ちりめん山椒が海苔のような紙袋に入って出てきたのだが、スチュワーデスの説明が足りず、外人では結構先に食べてしまった人もいたようだ。
 ただ設備が良すぎるのも困ったもんで、モニターのモニターの扱い方がよく分からず、「ハリーポッター」のハリーが呪文を間違えるシーンを3回くらい見てしまった。アル・パチーノ主演の「シモーヌ」はCGで作り出した女優が大人気になるという話で、あながちありそうなだけに結構面白かった。

 2日目

 12時間の長旅の後、ロンドンに到着。旧友のJよりロンドンはまだ寒いというメールを受け取っていたが、どういうわけか20度を超えていた。ヒースロー空港には4つのターミナルがあり、それぞれの間をシャトルが行き交っている。ターミナルの移動を終えた後、ラウンジで一服。ラウンジ内にシャワーがあるということなので、好奇心半分に浴びに行く。ファーストクラスのラウンジの横に一見倉庫みたいなスペースだったが、入ってみると、シャワールームが5つ並んでいた。これが案外快適で、12時間分の疲れが少し癒されたような気がする。
 19:35、いよいよ出発。エンテベに直行便が飛んでいるというのだから、少し驚きだ。機内は半分以上がウガンダ人と思われる黒人で、残り半分弱が白人。
 同じビジネスなのに、機材が古いらしく、えらく質が悪い。以前はエールフランスとブリティッシュがサービスを競っていたらしいが、アフリカ路線は最近各社ともに質が悪いそうだ。

 5:50に予定通りエンテベに着く。エンテベはウガンダの首都カンパラからは40kmほど離れており、旧首都だったそうだ。入国審査はえらくいい加減で、書類の到着日を間違えているのを後で気がついたのに、なにも言わなかった。一見無愛想だった審査官は、おもむろに口を開いて、「コニチワ」と低い声で言った。
 空港からカンパラ市内へ向かう途中、対抗車線を見て、違和感を全く感じないのを逆に変に思った。注意して見てみると、かなり日本車が多い。それも、日本の仕様によく似ている。ドライバーに聞くと、ウガンダでは日本車が9割を占めるのだそうだ。日本車は価格が高かろうに、どうやって買うのだろうと疑問に思っていると、ドライバーが「ケニア経由で入ってくるんだ」と続けた。ケニア経由?なんじゃそりゃ、一瞬思ったが、すぐに「中古車や!」と気がついた。海外のどこでも見かけるカローラ、カムリ、パジェロ、ランドクルーザー以外にも、トヨタではコロナ、カリーナ、スプリンター、カリーナED、コロナエクシブ、日産ではプレセア、サニーなど、普通海外ではお見かけしない車も多く、年式もかなり幅広い。よく見れば、車庫証明がついている車や、車検証がついたままの車が走っている。私たちの乗った車は、レンタカーなのに、1台は車庫証明がついているし、もう1台には車検証とJAFのステッカーが!JAFはウガンダまでロードサービスに来てくれるのかぁ、と感心。明らかに日本からそのまま持ってきたらしく、ディーラーのステッカーが残っていて、トヨタオート奈良だの、トヨタカローラ静岡だのという車もあれば、「鹿児島荒物卸商」だの、「甲南商事」だのと会社の住所が側面に書かれた車も時折見かける。ロシアでは、日本車である証明として、会社のロゴや住所がかかれた車が好まれる傾向にあると聞いたことがあるが、ウガンダの場合は廃車になりそうな車まで持ってきたという印象だ。後でナイロビで聞いた話だが、実際にウガンダの日本車は廃車寸前の車を持ち込んでいるらしく、陸送で途中を抜けるケニアでは、整備不良による排気ガスに手を焼いているという。ちなみにケニアでは、トヨタがちゃんと中古車を売っているらしい。

 カンパラ(写真左)に着く頃には夜もすっかり明けた。日本との時差は6時間。途中9時間時差のあるロンドンに立ち寄っているので、時間間隔はすっかり麻痺してしまった。ウガンダはケニア等の東アフリカ諸国と同じ時間を採用しているのだが、隣国のスーダンやルワンダがさらに1時間遅れになることからも分かるように、この時間を採用している国としては最も西にある国のようだ。7時前にならないと明るくならないが、同時に夕方も7時前まで明るい。

 この日の宿泊はシェラトン・カンパラ。一泊70ドル程度という事前情報があったが、実は110ドル。改装中ということもあり、外見はさびれているが、一応やっぱりシャラトン。この国の国情を考えれば、エアコンがつく上に熱いシャワーがちゃんと出るということは高級ホテルである。
 スーツに着替え、眠い眼をこすりながら表敬訪問。カンパラの街はラテライトの赤土と、整備不良の車のせいで埃っぽい。さすがに某Mのマークは見ないものの、洒落たファーストフードショップやカフェが並び、携帯を持った人が闊歩する様子は、欧米の地方中核都市の印象とあまり変わらない。ただ、廃物処理などのインフラ整備は遅れているようで、街の隅の空き地等にゴミの山があったりする。ゴミの山の上には、Marabouと呼ばれるハゲコウがおり、ゴミをあさっている。恐らく、人の出すゴミの影響なのだろうが、カンパラ市内にはハゲコウがやたらに多い。体長1.5mにもなる上に、どこまでも不細工に禿げ上がったこの鳥がビルや人家の屋根の上で群れで休んでいる姿はかなり異様である。ハゲコウほどは目立たないが、嘴の下に曲がったハダダトキも市内でよく見られる。全身褐色で嘴以外にこれといった特徴はないが、飛ぶときに「アーッ、アーツ」と赤ん坊や発情期の猫のような声質で鳴くので、驚かされる。

 午前中の表敬訪問を終え、午後はエンテベにある政府機関の事務所へ。土砂降りではないものの、しとしとと降る雨は日本の梅雨を思い起こさせる。ドライバーに聞くと、ちょうど雨季が始まったばかりなのだそうだ。あわただしいカンパラの市内を抜けると、左手にビクトリア湖が見えてきた。同湖はウガンダ、ケニア、タンザニアの3カ国にまたがり、白ナイル川の源流に位置する世界最大の淡水湖だそうだ。車窓に緑が増えると道路脇に露天の野菜売りが目立つようになった。主食でもあるバナナ、熱帯でおなじみのパパイヤ、マンゴー、すいかに加え、東南アジア原産のジャックフルーツもよく見かけた。すいかは日本のものと違い、皮が真っ黒だ。後々ホテルやレストランで色々な果物を食べる機会があったが、すいかは黒い見た目とは異なり、繊維質が多い割に糖度が低く、あまりおいしくなかった。一番美味しかったのはパイナップルで、糖度が高かった。

 途中、昼食のためにビクトリア湖畔のレストランに立ち寄る。レストランの脇の電線には十羽以上のヒメヤマセミが止まっている。集団で営巣するというから、コロニーでもあるのだろうか。湖面にはカワウ、ハジロクロハラアジサシ、クロハラアジサシの大きな群れが休んでいる。ヒメヤマセミはホバリングをしながら、餌を探している。
 レストランのメニューはほとんど西洋風。海外出張の多いN氏は、「フランス統治だった西アフリカと違って、東アフリカは味音痴でだめだよ」とおっしゃったが、アングロサクソン系の食べ物がまずいという法則はここでも適用されるようだ。無難な線を狙って、テラピア(どこがや!)のフィッシュ&チップスにした。これで15000シリングは高い。日本円に直すと、約1500円といったところか。えらく細長いビンのコーラは3500シリング。これもぼったくりのような値段だ。こちらでは、現地の人と外国人等の上流階層の間を埋める中間層がないため、外国人相手のレストランやホテルでは、欧米そのまんまの物価になっているという。東南アジアの物価に慣れた私には、「うまくないし、高いし、なんやこれ!」である。所詮、外国人か上流階級人向けの商売なんだろうなぁ。

 先方政府機関の事務所はレストランからすぐだった。木々に囲まれ、非常にのどかな風景だ。建物もイギリスコロニアル風。オーストラリアの留学時代を思い出させる。1927と書いてあるのは、建設された年なのか。庭先に見なれない茶色い鳥がいると思ったら、シュモクドリだった。長い冠羽と嘴のおかげで、ハンマーのようなシルエットをしている。このため、英名ではHamerkopと呼ばれている。この鳥の体長はせいぜい50cm程度なのだが、自分の何倍もある巨大な巣を作ることで知られている。しばらくぼーっと見てたら、交尾を始めやがった。うーん、雑念の塊や・・・。
 面会を待っている間に上空を飛んだのはGreat Blue Turaco(カンムリエボシドリ)。75cmと大きい上、全身ほとんど青緑色、長い尾、黄色く太い嘴、そしてなによりも昔のヤンキーを思い起こさせる冠羽と、どこまでも奇抜な鳥だ。羽は丸く、ふわふわとしか飛ぶことができない。やや悪趣味に近いほど奇妙な風体と、短く丸い羽に長い尾から、東南アジアのバンケンモドキを思い起こさせる。ぜひ見たかった鳥だけに、仕事そっちのけで感動してしまった。
 大木の枯れ枝の先にはセネガルショビンが止まっている。赤い嘴と水色の羽が印象的だ。「ピッ、キョロロロロロ…」と尻下がりに鳴く声は、同じカワセミの仲間のアカショウビンやアオショウビンに似ている。大木の枝先に大きな鳥が止まっているなと思ったら、Black-and-white-casqued Hornbillだった。東南アジアのサイチョウとはことなり、開けた環境にも生息しているらしい。嘴の上の瘤状のカスクがなんともいびつだ。

 会議が終わり、エンテベからカンパラへ戻る。ラッシュアワーに差し掛かっているためか、カンパラに入る手前のロータリーで大渋滞。このイギリス式のロータリーというものは、どこへ行っても渋滞の原因になっている。紳士の国のイギリスでは、右側優先という大原則が守られるのかもしれないが、ここウガンダでも見られるように、大抵の国では我先にとロータリーに車が割り込み、ロータリーから出る車と車線変更をし合うことで速度が落ち、それを避ける車が横をすり抜けることでさらに混乱を招いている。その上、バイクや自転車が車の脇をすり抜けて走るため、ますます車の流れが悪くなる。交通量が少ない分にはさほど問題ではないのかもしれないが、ある程度交通量が増えれば、ロータリーをやめて、信号にするべきである。やはりイギリス植民地だったマレーシアでは、最近ロータリーを信号につけかえるところが増えてきている。ただ、ドライバーによると、ウガンダにはほとんど信号がないそうだ。そういえば、ウガンダに来てから信号というものを見たことがない。
 渋滞を待つ間、車窓を見ていると、道路脇で休んでいる人が案外多いのに気がつく。ポリタンクを運んでいる人や、さとうきびをかじっている人もいる。彼らの多くは地方から出てきた人や不法滞在者なのだろう。交通手段がないからやむをえないのだろうが、なにも一日排気ガスを吸わされるこんな所に住まなくてもいいのに…。小さな子供が線路の上でビニール袋の凧を揚げている。

 初日の夕食はホテルの中で済ませた。Hippo (カバ)Restaurantというなんともこっち風の名前。ちなみに隣のバーはRhino (サイ)Bar。バイキング形式で25,000シリング。もう、なんも言わへんぞ…。初めてマトケを口にする。バナナを蒸して潰した上にソースがかかっている。サツマイモのようで悪くはない。ビールはNile Special。やや酒の味が強い気がする。少しハイネケンに似ているかもしれない。ウガンダでは、他にBellとCrestというブランドがある。いずれも500mlと量が多い。ちなみに味はどれも良く似ている。アルコール度はNile Specialが一番高く5.5%、Bellが4%で一番低い。


3日目

 外で騒ぐ人の声で目が覚める。時計を見ると4時。まだ外は暗い。7時前にようやく東の空が明るくなり始めた。ホテルの敷地の庭を少し散歩。African Thrushが良い声でさえずっている。ツグミ類特有の甘く複雑なさえずりだ。庭では数羽のハゲコウがたたずんでいる。緑の芝生にこれほど似合わない鳥もそういないかもしれない。大木の枝先に赤い色が見えたので、双眼鏡で見てみるとDouble-toothed Barbetというゴシキドリの仲間の鳥だった。

 この日も午前中はカンパラで表敬訪問。どこにいってもウガンダ人の人の良さが印象に残る。前日会った某役所の高官が、「日本語とウガンダ語には共通する単語がいくつかあるんですよ」と言っていたが、どすの利いた低い声で「カトーです」(カトーという名前はこちらでは普通らしい)と自己紹介されると、違和感があって面白い。
 前日とは打って変わって見事な晴天。高原独特の青く広い空が印象的だ。エンテベへ行く道沿いにはバナナが沢山植えてあり、バナナが主食ということもうなずける。パパイヤやマンゴーの木もまれに見かけるが、自家消費のためのものだろうか。

 エンテベはウガンダの旧首都だったところだが、今では当時の面影はなく、ビクトリア湖畔の静かなリゾート地の印象だ。農業畜産水産省の入り口にはなぜかヒメヤマセミが沢山止まっている。ヒメヤマセミはカワセミの仲間では唯一コロニーを作る鳥として知られている。白黒のシックな羽色が上品だ。遠くからはセネガルショウビンの声が聞こえてくる。  

 夕方まで打合せをした後、カンパラに戻る。この日もカンパラの入り口のロータリーで大渋滞。カンパラの手前に門や柵を作っている作業所がある。糸鋸を使っての作業だが、エネルギッシュで力強い。なぜかブランコや滑り台も並べてある。切り口がやけに粗雑で、滑ったらお尻が切れそうだ。
 ウガンダの人の公共交通手段は、自転車やバイクのタクシー、それに、ワンボックスのタクシーである。自転車タクシーやバイクタクシーは小回りが利く反面、運転者が車の間をすり抜けて走るので、油断をしているとどこかで怪我をしそうだ。一方、ワンボックスカーのタクシーも大変で、日本だとせいぜい8人くらいまでしか乗せない車に11人乗せている。黒人の体格はどう見てもアジア人の我々よりも一回りも二回りも大きい。エアコンさえつけていない車の中は、蒸し風呂状態だろう。おまけに窓を開けようものなら、大量の整備不良の車が吐き出す排気ガスによる黄土色によどんだ空気が入ってくる。まるで我慢比べをしているようなものだろう。この話をケニアのレンタカーのドライバーにしたら、「そりゃ、カンパラの方が良いよ。ナイロビは16人乗りだもん」。どうやって16人も乗るんだろう!?
 ホテルに戻ると、古いながらも異常に内装の豪華なシェラトンホテルに違和感を感じた。設備もスタッフの教育も行き届いている。しかし、これはやはりヨーロッパをそのまんま持ちこんだものにしか過ぎない。

4日目



イガンガ地方の稲作風景


 寝不足のおかげか、朝からどうも体調が優れない。この日から三日間野外視察だ。4台の4WDに分乗し、東を目指す。カンパラ市街を抜けると、所々に氾濫湿地が広がっているのが見え始めた。雨が多いせいか、くぼ地には水が溜まり、湿地になっている。湿地では、粘土を焼いて、レンガを作っている。近年のカンパラの建設ラッシュに伴い、レンガの需要が急増しているという。これらの湿地では、アオサギによく似たBlack-headed Heronや嘴の真ん中が開いたAfrican Open-billed Storkがいる。
 最初の視察地のMukonoでは、長い尾を持ち、黄色く太い嘴が印象的なEastern Grey Plantain-eaterや、African Pied Hornbill, Crowned Hornbillなどに出会う。いずれも50cmを超える大型の鳥なのに、普通に見られることに感動する。飛び交うツバメはオレンジ色の頭と腰が印象的なLesser Striped Swallow。この後、パピルスの生える湿地で至る所で目にすることになる。

 Jinjaの町の手前で大きな川を渡る。なんと、白ナイル川なんだそうだ。白ナイル川はビクトリア湖から発し、スーダンに抜け、エジプトへと流れる。源流のナイル川は大河の雰囲気すら感じさせないが、下流には発電所もあるという。川の傍のガソリンスタンドで給油のため休憩。
 JinjaからIgangaにかけては、広大な茶畑とサトウキビ畑が広がっている。製糖企業は敷地内に雇用者の子供用の学校まで用意しているというから、規模のほどが窺い知れよう。Igangaから少し内陸に入ったNamalembaでは、湿地に群れるサギ類、African Open-billed Stork, Yellow-billed Storkなどが見られた。遠くの木には、Broad-billed Rollerが止まっている。尾羽の長い小さな小鳥がさも飛びづらそうに羽ばたいて木の枝に止まった。Pin-tailed Whydahだ。日本ではテンニンチョウという名のペットとしておなじみの小鳥である。
 広大な湿地の風景はオーストラリア北部カカドウ国立公園の氾濫原に非常によく似ている。以前、ボツワナ出身で、今はオーストラリアの研究機関に働く知人が、カカドゥ国立公園の景色を見ながら、「俺には、なんでここにヌーやライオンがおらんのか、さっぱりわからん」と妙なことを言っていたが、アフリカとオーストラリアの風景がここまで似ているとは思わなかった。確かにカカドゥの景色にアフリカスイギュウやウォーターバックが似合いそうだ。

 この日は10ヵ所近くの視察を行ったが、ウガンダの人は好奇心が旺盛なのか、気がつくといつも人だかりの中にいた。特に子供の好奇心は旺盛で、車で通りかかるだけで、手を振り、走り寄ってくる子がいっぱいいた。なにかくれるとでも思っていたのだろうか。

 ウガンダも東の端まで来ると、景色も変わってサバンナ地帯となる。バナナが多かった車窓からの景色もいつしかキャッサバに変わっている。ケニアとの国境近くでは、Olive Baboonというヒヒの家族群に出会う。人が餌をやるので道路際に出てくるらしいのだが、大きさが秋田犬くらいはあるだろうか、かなり迫力がある。

 この日の宿泊地はMt. Elgon麓のMbaleである。ホテルの庭先には赤い胸と緑色の額が印象的なScarlet-chested Sunbirdが一生懸命にジャカランダの花の蜜を漁っている。アジアのタイヨウチョウに比べるとシックな色合いだが、赤い胸が目立つ。

 長時間の移動で体はくたくただ。シャワーを浴び、夕食を食べた後、さっさと蚊帳の中に転がり込んだ。

5日目 

 昨日はよく眠れたのか、目覚めが良い。朝からホテルの周りを散歩する。ホテルの外に出ると、薄い青色をしたRed-cheeked Cordon-bleuに出会う。小さいながらも存在感のある小鳥だ。ホテルの裏ではBlack-necked WeaverとBaglafecht Weaverという2種類のハタオリドリを見かける。あいにく今日もエルゴン山は見えないが、雄大な裾野は見ているだけで飽きない景色だ。

 朝一番は大規模な灌漑地のあるDohoへ向かう。中国の援助により、1,000haという規模の広大な干拓地が作られている。広大な草地のあちこちでハタオリドリ類が飛び交う。林縁では、Olive Sunbird, Copper Sunbird, Red-chested Sunbirdなどのタイヨウチョウ類が吸蜜に忙しい。遠くでオレンジ色の小鳥が飛んだと思ったら、羽の青いAfrican Pygmy Kingfisherだ。

 ウガンダでは、男性も女性もよく働く。小学生くらいの小さな子供でも牛飼いの仕事をしている。女の子は幼い妹を連れて水汲みだ。女性は頭に物を乗せて歩いているが、時々手による支えを一切していない人を見かける。バランス感覚が良いのだろう。

 Dohoで歩きながらサトウキビを一本齧ってみる。水気がたっぷりで、甘い。皮の繊維質が堅いのが難点だが、いいおやつになる。
 
 この日も数カ所の調査地点を視察する。標高約4,300mのエルゴン山の北山麓まで車を進めたところで今日も夕立ち。露出した岩肌と広々としたサバンナの景色がダイナミックだ。
 雨が止むと綺麗な虹の橋がかかった。

 18日からちょうどイースターに引っかかり、土曜日のこの日は一段と人が浮き足立っているように感じられた。宿泊地のSorotiの町もあちこちで音楽がかかり、にぎやかだ。にぎやかな町を尻目にホテルの裏庭で奇妙な鳥を見つける。全身黒く、長い足を交互して器用に歩く。声に特徴があり、図鑑で調べてみたら、声そのまんまの、Piapiacという鳥だった。
 二日続けて昼飯はビスケットと果物の日が続いていたので、夜はおなかが空いた。しかし、オーダーしても食べ物がすぐに出てこないのがアフリカ式。オーダーして30分もするのに、一向に出てこない。皆で先にビールを飲む。日本から柿の種を持ってきた人がいて、こちらに長期滞在中のMさんがウェイターに「食べてみな」と差し出す。ウェイターは、「日本の食べ物?」と一言聞いた後、口に入れ、丸い目を一層丸くして「ウヘッ」と驚きの声を上げた。
 一向に食事は出てこない。そのうち、オーナーらしき人物が出てきて、「すみません、発電機のブレーカーが上がったので、少し時間をください」と言ってきた。食事が出てきたのは、それからさらに40分ほど経ってからだった。

6日目


ソロティの丘からの眺め


 今日は快晴。標高の低いSorotiの町は朝から暑い。さすがに赤道直下である。朝食後、近くにある岩山に登りに行く。平らなSorotiの町が一望でき、なかなか眺めが良い。近くの村の人たちが水汲みをしている。この村ではシチメンチョウを多く飼っているらしく、大きなシチメンチョウがあちこちで尾羽を広げて、ディスプレイしている。しかしながら、なぜアメリカ原産のシチメンチョウなのだろう?

 視察の最終日。最初に行った水田地帯で大木に止まるAfrican Cuckooを見つける。カッコウと大きさも羽のパターンもほとんど同じで見分けがつかない。田んぼの脇にはMackinnon's Fiscalというオオモズによく似たモズが止まっている。藪から突然姿を現わしたのは、赤い腹と黒い上面が印象的なBlack-headed Gonolekだ。これもモズの仲間らしい。

 ウガンダは、世界的にも珍しい湿地政策に積極的な国で、1995年に国家湿地政策が発表されて以来、国内の湿地開発は基本的に全て環境影響評価の対象となっている。ただ、いささか厳しすぎる面もあり、また制度的にまだ確立しきっていない部分もあって、稲作農家の中には不満を持っている人が多く見られた。「湿地の保全なのか、貧困削減なのか」というような議論が成り立ってしまうのは、湿地の持続可能な利用に対する根本的な理解がまだ普及していないことの現われだろう。ウガンダの稲作自体は農薬が使われている形跡もないし、持続的なものと思われる。小川の中州で稲作を行っている事例も見られたが、ウガンダの環境法では違法になるという。先見的な考え方を持った湿地政策や環境法の履行には賛成だが、水田稲作が必ずしも環境破壊につながるものではないという視点も必要であろう。

 それにしても湿地が多い。天然の湿地にはパピルスが多く生え、紫や桃色のハスが生えている。アフリカレンカクが長い爪を交互に差し出しながら、ハスの上でせわしなく餌を探している。Long-crested Eagleが澪筋の枯れ木で休んでいる。すばらしい景色だが、援助屋の人たちからすると、「開発にもってこい」の土地なのかもしれない。

 視察を終え、帰路にJinjaでナイル川の源流を見に行く。イースター休暇ということもあり、観光客でいっぱいだ。見ていて面白かったのは、黒人女性たちの撮影されるときのポーズである。日本人や中国人なら、すぐにピースマークを作るところだが、黒人女性たちは芝生に横になり、片手を使って顔を起こすポーズを取ったり、石の上に斜めに腰掛けて、振り向くようなポーズを取っていた。
 ナイル川の源流とは言っても、ビクトリア湖でつながっているため、どこが源流なのかはぱっと見ても分からない。湖面には沢山のヒメヤマセミがおり、せわしなく飛び回っている。カモメのような大きな声で鳴いているのはサンショクウミワシだ。白い頭に赤茶色の体が美しい。上空で弧を描いて飛んでいるのはAfrican Harrier-Hawk。ウガンダは猛禽の種類も多い。

 カンパラに戻ったのは午後7時半過ぎ。明日の午前中は休みだ。

7日目

午前中、エンテベの植物園に行くことしたのだが、あいにくの小雨模様。朝食を終えた後、のんびりと出発する。

 イースター休暇最後ということもあり、植物園も人が多い。遠足だろうか、子供たちが沢山バスから降りてきた。
 植物園内は思っていたほどではないものの、それでも多くの野鳥が見られた。公園を入ってすぐの木で、聞きなれない声に双眼鏡を向けると、2羽のヨウムが飛んでいた。赤い尾羽がよく目立つ。ヨウムはペットとして欧米で人気がある鳥だが、その知能の高さでもよく知られている。ペットのための乱獲で数が減っているというから皮肉なものである。公園内を我が物顔で飛びまわっているのは、ニシトビと2種類のサイチョウ。特に、白黒で大きいBlack-and-white-casqued Hornbillはよく目立つ。東南アジアのカササギサイチョウほどの大きさがあるのに、よほど個体数が多い。それだけ環境が豊かなのか適応能力があるのか…。


 胸に丸い斑点が目立つのはAfrican Goshawkの幼鳥。白黒のパターンが目立つのは、Palm-nut Vulture。小さなタイヨウチョウが沢山見られたが、ここで印象的だったのは、長い尾の印象的なBronze Sunbird、全身ほぼ真っ黒だが、緑色の額と喉が鮮やかなGreen-throated Sunbirdだ。Marico Sunbird, Purple-banded Sunbird, Red-chested Sunbirdは互いに似通っていて、識別が難しい。どれも頭から胸、背にかけては濃い緑光沢、胸に赤から紫色の帯があり、腹は黒い。湖岸に行くと、黄色い喉が目立つように穂先に止まっているYellow-throated Longclawに出会った。セキレイの仲間らしいのだが、見た目の印象はアメリカのマキバドリのようだ。

大木のてっぺんに何か飛んできて、「ピッチュゥ、ピッチュゥ、ピッチュゥ…」と鳴き始めた。双眼鏡で見上げると、長い冠羽がよく目立つ白黒の小鳥がいた。Black-and-white Shrike-flycatcherという鳥だ。長い冠羽の割に尾が短く、なんともコミカルな体型をしている。

 子供たちが集まっているので通りかかって見てみると、Velvet Monkeyの家族群がいた。子供たちがサトウキビをやろうしていると、園の管理者らしき人がやってきた。サルだけでなく、子供たちも蜘蛛の子を散らしたように逃げて行った。

 午前中たっぷりと鳥を楽しんだ後、昼飯を植物園の隣にあるBotanical Resort Beach Hotelで取る。相変わらず食事を持ってくるのが遅い。ホテルの庭先で食事を待っていると、上空をGreat Blue Turacoが何回も飛んだ。青緑色の羽が青い空と緑色の芝生によく生える。
 ハンバーガーをオーダーしたら、やたらにボリュームのあるのが出てきた。値段は安くないんだが、そのぶん量がめちゃくちゃ多い。同行していたKさんはサラダを頼んでいたのだが、一緒に出てきたゆで卵の黄身が白い。白身と同じ色ではないのだが、なんとなく、白っぽい。卵の黄身の色は食べる飼料によるらしく、成分に違いはないのだそうだ。それにしても、白い黄身だとあまり美味しそうじゃない。
ところで、このホテルには、Clinton Suiteという妙な名前の部屋がある。値段は一番高く、一体どんな部屋だろうと想像していたら、前アメリカ大統領のビル・クリントンが泊まった部屋なんだそうだ。クリントンはアメリカ大統領で初めてウガンダを訪れた人らしい。

 帰りにカンパラで一番大きく新しいスーパーに行く。あいにく、ショッピングセンターの半分は閉まっていたが、幸いスーパーは開いていた。たぶん、上流階級を対象としているのだろうが、それを差し引いても、果物も野菜も驚くほど豊富だ。キャベツやサツマイモ、巨大な白ねぎ、トマト、紫たまねぎ等々、山積みになっている。ただ、根系の野菜に比べると、葉物の野菜類は鮮度が低く萎びている。おそらく、流通システムがまだ確立されていないのだろう。魚類では生魚は見られず、ティラピアの白身を冷凍にしたものだけが置かれていた。まだまだ米の消費は少ないということだったが、それでもスーパーには沢山置かれていた。ただ、ほとんどは輸入米で、ベトナム、パキスタン、インド産の米が広いスペースを占め、申し訳程度にウガンダ米が置かれていた。

 夕食はなぜかタイ料理。なぜかオーナーは白人。入り口に飾ってある写真から、タイへ旅行したオーナーがタイ人の奥さんと知り合って結婚し、なぜかカンパラでタイ料理店を開いたというところだろうか。しかし、なぜ、カンパラだ?
 店は丸太で組んで、切妻型の屋根は高い。翌日行ったイタ飯屋もなぜか同じ造りだった。店内にはサイモンとガーファンクルが流れ、年配の団長が、「おぅっ、懐かしいのがかかってるやないか!」と声を上げる。辛いのが駄目という人が多く、カレーはやめて、チャーハンにする。味はまぁまぁ。値段もそれなり。いや、場所柄を考えれば良い方だろう。

8日目

22、23日と続けてカンパラ市内で仕事。役所関係を回って資料をもらう。

23日は昼飯を市内のレストランでとる。バイキング形式で、牛肉、ヤギ肉、鶏肉などを煮込んだもの、キャッサバ、ヤム、サツマイモ、ジャガイモ、バナナなどを蒸したものなどが並んでいる。いやはやしかし、芋系のぱさぱさした食べ物の好きな人たちだ。

 環境省で資料をもらった後、ホテルに戻って仕事をする。高いシェラトンの向かいにあるシャングリラホテルは12室しかなく、けっして設備も良いとは言えないが、さすがは中国人系のホテル。サービスはきめ細かかった。洗濯はタダでやってくれるし(もっとも、マジックで部屋番号を書かれてしまうが)、カンパラ市内の電話も無料だ。インターネットは30分6000シリング(約3ドル相当)、国際電話もシェラトンに比べるとずっと安かった。
朝食には粥がつくというので、喜んでいる人も多かった。エアコンこそなかったものの、こぢんまりと落ち着いた雰囲気の良いホテルである。中国人は海外で事業を始める時、かなり長いスパンを見ているという。気が強そうな長身のオーナー婦人に比べると、オーナーらしき人はとっちゃん坊や風の冴えない風貌の人だったが、レストランで食事をすると、必ず、「味はどうだ」と聞いてくる豆な人だ。バーとレストランの間の通路に将来のホテルの設計図らしきものがあり、いずれは10階建の大ホテルに変身するのだろう。
 概して、インドから西は印僑が多く、アフリカは印僑の世界だという。実際、Mbaleなどウガンダの東の端まで行ってもインド人は小売店をやっていたが、中国人にはほとんど出会わなかった。しかし、最近、中国が国策で移民を奨励しているらしい。人口の増加に伴う動きだという。中国は途上国に対して援助を行い、その代替として、移民枠を得ているらしい。N氏いわく、ヌアクショット(モーリタニア)の町では、中華料理店が何軒も軒を並べているという。エンテベの空港の傍にも中国系企業の建設が行われている。そういえば、オマーンでも中国人が増えてきたという話を聞いた。 

 9日目 

 ウガンダ滞在最終日。昨日からの最終協議がなかなかまとまらないという。早めにエンテベに行き、先方の担当者と会う。エンテベはビクトリア湖畔にあり、事務所からも青い湖面が見える。

 午後3時過ぎから最終協議に入る。最後の最後に文書の内容がずいぶん変わった。ま、こんなものなのだろう。

 ウガンダ最後の晩飯をなぜかインド料理屋で食べる。インド人が多いためか、なかなか本格的な味だ。

 10日間ほどの短い滞在だったが、アフリカの中にアジアの雰囲気を感じさせる農業国のウガンダは、また訪れてみたくなるような素朴で良い国だった。

 10日目



ナイロビの街並み

 6時、まだ夜が明けきらないうちに朝食を済ませ、7時、空港へ向けて出発。空港へ向かう途中、ドライバーがムセベニ大統領になってから、如何に国の治安が良くなったかを話してくれた。なによりも、深夜や明け方に空港へ人の送り迎えに行っても、警官から尋問を受け、金を巻き上げられなくなったのが何より大きな変化だと話していた。

 エンテベからのケニア航空機は遅延もなく、予定通り出発。飛んですぐ、窓の下にビクトリア湖が広がってきた。湖の中にはいくつも島があり、まだ手付かずの自然が残っているのか深緑の木々が見える。やがて対岸が見えてくると、緑の大地の所々が黄土色に変わってきた。どうやらケニアに入ったらしい。面白いことに北側と南側の景色が全く異なっていた。北側にはまだ黄緑色のじゅうたんが広がり、雨季に入ったケニアの大地の豊かさを見せているのに対し、南側には剥き出しの茶色の大地が広がり、アフリカらしいサバンナを見せている。
 ナイロビ空港は改修工事を途中で放棄したような、訳の分からない構造になっている。飛行機を降りて、なぜか再び階段を上ってターミナルに入り、さらにまた入国審査のために階段を降りる。帰国時に分かったことだが、なぜかラウンジは入国審査の行われる建物の隣にあり、搭乗口からえらく離れている。空港内の免税店にはハングル語が目立つ。後で駐在の人に聞いた話では、日本企業は撤退傾向にあるのに対し、韓国企業は最近増えてきているという。

 ナイロビは標高が1700mを超えている。乾いた空気が心地良い。世界で一番過ごしやすい首都という地元の人の言葉もうなずける。
 空港を出てすぐ、ドライバーが「キリンがいる」と教えてくれた。なるほど、首の長い動物が遠くを歩いている。うーん、さすがケニアだ。

 ナイロビは近代的な印象の街だが、治安の悪さで悪名高い。ドライバーのオッサンが、「ここは夜歩いちゃ駄目、あそこも駄目」と教えてくれる。日中はとてもそんな風には見えないのだが。

 ナイロビの事務所で挨拶を済ませ、昼飯を一緒に食べた後、時間があったので、空港近くのナイロビ国立公園へ。入場料と車両持ちこみ料で$23かかる。安くはない金額だが、外人相手だとすれば納得がいく。公園の入り口は整備されており、地図や図鑑、Tシャツなどを売っている。公園に入ってすぐ、ドライバーが「ブッシュバックがいるよ」と教えてくれる。なるほど、藪の中に、褐色をしたレイヨウの仲間が見える。続いて出てきたのは、キリンだ。15mほどの距離まで近づいても逃げない。しばらく進むと二頭のオスのキリンが首を絡めて喧嘩をしている。遠くの草原には、イボイノシシとシマウマが並んでいる。うーん、アフリカらしい景色なんだけど、あまりにあっけなくて、どっかのサファリパークみたいだ。さらに車を進めると、今度はインパラの群れ。続いて、クロサイだ。しかし、眼の良いドライバーのオッサンで、遠眼に土くれにしか見えない茶色の塊をサイだといっぺんに見分けた。ハイライトのはずのライオンも、草むらで眠っているのを見つけてくれた。うーん、やっぱりサファリパークや…。さすがにサイやライオン(写真左下)は遠かったが、インパラやハーテビースト、シマウマなどの草食獣は距離が近かった。インパラやグラントガゼルは長い角とほっそりとした体が美しい動物だが、ハーテビーストは妙に顔が長細い割に体は短く不恰好だ。エランドはレイヨウ類最大で、体重も300kgになるそうだが、見た目はレイヨウよりも牛だった。もっとも、レイヨウ類自体が牛にごく近縁な動物なのだが…。

 ドライバーのオッチャンは楽しい人で、車中色々と話をしてくれる。レンタカー屋のドライバーと言っても、観光客の応対には慣れているのだろう。動物を見るたびに、「キリンは美味いよ、エランドは牛に味が似ている」といちいち味を解説してくれるのは、ちょっと生々しかったが。
 途中で、密猟された象牙を燃やしたという記念碑があった。ケニアの場合、観光客からの収入が大きいから、パフォーマンス的な要素が大きかったのだろうが、ジンバブウェやナミビアなどの南アフリカ諸国では、ゾウによる人家への被害が大きいことを考えると、単純に保護論ばかりを訴えるわけにもいかないように思える。

 これだけ動物は沢山見られても、どういうわけか、鳥はあまりぱっとしなかった。よく見かけたのは、Long-tailed Fiscal(写真右下)という大型のモズ、ヒバリやセッカの仲間(でも茶色くて、なんだか分からん)、ホロホロチョウ(写真右上)に、Yellow-necked Spurfowlなど。見たかったライラックニシブッポウソウはここでも見られず。ハチクイも結局Little Bee-eater1種のみだった。それでも、Secretary Bird, ハゲワシ2種、White-browed Scrub-Robin, Superb Starlingなどの鳥に出会うことができた。鳥のハイライトは大群で草むらから飛び立ったJackson's Widowbirdかもしれない。オスの長い尾が印象的だった。

 ウォーターバックが休んでいた藪から急斜面を登ると展望台のようになっていた。ハイラックスがよく見られるというので、じっと待っていると、確かに耳のないウサギのようなハイラックスがゆっくりと近づいてきた。
 この場所のもう一つの名物はOlive Baboon。我々の姿を見つけると、餌はないものかと近寄ってきた。餌を探すためには、自分で車のドアまで開けようとする。大きいだけに人に近づきすぎるのは厄介だ。

 ビッグ5と呼ばれるもののうち、アフリカゾウはナイロビ国立公園には生息していない。残りの一つ、カバを見に行く。Hippo poolと呼ばれる水場によくカバがいるという。車を止めると、レンジャーのおじさんが銃を持って案内してくれた。遊歩道はよく整備され、歩きやすい。遊歩道には、African Firefinch, Red-cheeked Cordon-bleu, Purple Grenadier等の小型のフィンチが群れる。小型のサルが群れている。Velvet Monkeyだ。子ザルは傍に寄っても逃げずに草を食べている。駐車場に戻ると、マサイの格好をしたオジサンが座っていた。おそらく、写真を撮る観光客から写真代を取っているのだろう。レンジャーのオッサンが「これは、サイの骨、こっちはシマウマの」と骨を見せてくれた。
 国立公園の境界は基本的に柵がされているわけではない。谷を挟んで向こう側はマサイの土地だという。マサイ族も最近は政府の定住政策で家を作って住んでいるのだそうだ。

 いったん事務所に戻った後、夕食を取りにナイロビ市内に出る。ところが、学生の暴動騒ぎがあり、夕方のラッシュと重なり、市内は大渋滞。夕食を取るレストランまで1時間近くもかかってしまった。あまり時間がないので軽く食事を取ってすぐに空港へ向かう。先導車つきという大げさなものだったが、先導の車が途中で故障。結局レンタカー2台で空港へ。セキュリティサービスのオッサンが助手席に乗ってきて、「ウチの車故障したんや。途中に乗り捨ててあるけど、後で修理に行かなあかん」ということをまじめな顔で何回も無線でやり取りしている。一体何しにきたんや、この人…?
 途中、市内を通過すると、なるほど、ブロックや石の破片があちこちに落ちている。ケニアやこういう暴動騒ぎやデモ行進が最近やたらに多いのだそうだ。
 「セキュリティがいるんだから、空港の中に優先的に入れますよ」という他の人たちの推測とは違い、結局空港に着いたらすぐにオッサンは引き返した。ほんまに何しにきたんやろ。

 帰りのBritish Airwaysのフライトはなかなか良い機材だった。座席は交互になっていて、一応一つ一つの座席は独立している。靴をそのまま脱いで床に置いていたら、スチュワーデスが来て椅子下にしまえという。自分でしまう途中に指を挟んで、「私の指を挟んだわね」と睨みやがった。訳が分からん・・・。晩飯は食べたくなかったので、とっとと眠る。

 ロンドン着5:00過ぎ。荷物を受け取り、day useのヒルトンホテルへ。朝食を済ませた後、他の団員はロンドンの街へ出て行ったが、こちらは資料の整理も含めて、ホテルで休憩。
 ヒースローでトワイニングのEarl Grey Tea500gを買い、ラウンジで暇つぶしをした後、全日空便に乗り込む。こちらはテロの影響もSARSの影響もないのか、ほぼ満席。
 12時間の長いフライトの後、日本に到着。成田を出て、千葉の水田地帯に通りかかると、レンゲの濃いピンク色の花が目に飛び込んできた。行く前にはまだ桜も見られたのに、もうすっかり春本番を迎えていたようだ。


- 完


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