ダナム・バレー探鳥記1(1日目) |
1.出発まで 「こっちに来て、そろそろ3ヶ月になるし、どこか旅行に行きたいなぁ」とある日奥さんが言い出した。「ほいじゃ、クアラルンプールでも行くか?」という話をしていたのだが、どうせなら 野生動物が見られるところとなり、いつの間にやら、ダナム・バレー行きの計画を立て始め ていた。 ダナム・バレーはサバ州のほぼ真ん中にある。その昔、まだマレーシアに最初に住む前の こと、「地球の歩き方」のダナム・バレー紹介の記事を読み、「こんな不便なところ、とて もよう行かへんワ」と思っていた。まず何より、交通のアクセスが不便だ。首都のクアラルンプールからコタキナバルまで2時間半、コタキナバルから飛行機を乗り継いで1時間Lahad Datuまで行き、そこからさらに車で2時間半かかる。次に宿泊費がメチャクチャ高い。一泊最低でもRM400はする。三食込みとは言え、天下のHyattですらRM200(朝食込み)で泊ることのできるマレーシアでは、信じがたい値段である。 ダナム・バレーの宿泊先は一般的にはBorneo Rainforest Lodgeが知られている。Field Centreも宿泊施設を持っているが、予約等に手間隙がかかるため、あまり一般的ではない。
Borneo Rainforest Lodgeの運営は、現在はBorneo Nature Toursという会社が行っている。 ここに宿泊の予約を入れ、現地でのガイド及び、Lahad
Datu空港への往復交通機関の手配 を依頼した。ガイドは鳥の専門のガイドではないということであったが、専門のガイドを 予約するとさらにガイド料がプラスになると聞き、今回はやめておいた。後のことになる
が、これが吉と出たか、凶と出たのか…。 僻地のリゾートホテルというと、飲食物が恐ろしいほど高いことがある(結局、タイガービールRM9.20、コーラRM4.5だった。ビールはともかく、コーラが高い!)。旅行までに菓子を少しと水を合計3リットル分購入し、ザックに詰めた。いつものタクシーのオヤ ジに電話を入れ、5時40分に迎えに来るように頼み、出発の準備は万端整った。
眠い目を擦りながら、パンとメロンだけの朝食を済ませ、空港へ向かう。Lahad Datu行 きの飛行機は一番端の6番ゲートから出発だ。先に6時45発のラブアン行きの飛行機が出 るため、アナウンスは5分前となった。搭乗機はプロペラのフォッカーで、せいぜい70人 ほどしか乗られない小さな機体だ。プロペラのうなる音がし、すぐに機体は空へ舞い上が った。 キナバル山を横に眺め、延々と続くアブラヤシのプランテーションを見下ろしていたら、 すぐにLahad Datu空港に到着した。知人のT君が「ガソリンスタンドみたいな空港です よ」と言っていたが、隣のShellの方がよほど立派だ。平屋の建物の中には、搭乗受付カウ ンターが二つ、他に荷物を受け取るカウンターが一つ。すぐ脇は食堂になっている。それ以外には待合スペースとトイレしかない。荷物が出てくるまで10分もかからなかった。 空港を出ると、Borneo Nature Toursのスタッフが出迎えてくれた。一旦、同社の受付に行き、領収書を受け取り、出発時間を確認した後、暇つぶしにLahad Datuの町に出る。空港の近くにちょっとした町がある。通りが縦に3本、横に4本の小さな町だ。町中の板麺屋で腹ごしらえ。安くてなかなか美味かった。 トレッキング用の軍手を買った後はやることがなくなったので、Borneo Nature Tours に戻る。ぼーっと座っていると、スタッフが気を利かせて、嶋田忠氏のビデオを見せてく れた。ビントロング(クマネコ)をテーマにしたものが一本、続いてカワリサンコウチョウをテーマにしたものが一本だったのだが、民放なのか、一本目は途中でテーマがサイチョウからビントロング(クマネコ)に変わったのがバレバレで、いい加減な編集内容だった。 9時半、ようやくLahad Datuを出発。Lahad Datuの市内には、アブラヤシプランテー ションか木材取引で儲けたのか、邸宅が並ぶ。 わずか20分ほど走った後、Tawauへの国道をそれ、ダナム・バレーへの道へ。ここから 先は未舗装路が延々80キロも続く。この分岐路でラブアンから来たという日本人の夫婦連 れと合流する。ラブアン3泊、ダナム・バレー2泊という強行スケジュールらしいが、これで総額 18万というのは安価だ。 道路沿いには延々と植樹された若い木の林が続く。Sabah Foundationが持っている土地 らしいのだが、かなり計画的に伐採され、植樹されている様子が伺える。ダナム・バレーは Sabah Foundationの大規模所有地のほんの一部にしかすぎない。Sabah Foundationとい うのは、こちらの人に聞く限り、非常に不思議な機関だ。州内に大規模な土地を持ち、そ の土地利用を自分たちで決め、表向きは上がった利益で貧困層の学生支援や、半島への留学資金の支援を行ったりしている。しかし、地元の政治家と結びつき、政治家の資金源に なっているという話も聞こえてくる。本当の意味でのボルネオの自然保護を達成する上で は、Sabah Foundationの関与は欠かせないが、閉ざされた組織という印象があり、誰も手 を出すことができないのが現状だ。話は戻るが、ダナム・バレーのRainforest Lodgeにも、 そんなSabah Foundationの影が見え隠れする。 途中の検問所から先は、ほぼ人が住んでいないと言っても良いような場所なのに、なぜ か道路幅は10m程度あり、道もさほど悪くない。木材伐採用の大型車が直径2mもある大木を積んで次々にやってくる。ランドクルーザーがネズミほどの大きさにしか見えない。1時間ほど走ったところで、車の前方に何かいるのを発見する。Crested Fireback(コシアカキジ)だ。オス、メス2羽いたが、青い顔にクリーム色の尾をしたオスはすぐに藪に入ってしまった。一方メスはしばらく道路上でたたずんだ後、ゆっくりとオスが入った草陰に入っていった。 到着後、すぐにロッジに関するブリーフィングを受ける。ロッジとは言っても、レスト ランのあるホールは室内の天井高が5mくらいある、なかなか立派な建物である。Welcome Drink(マンゴー&Honey Dewメロンのミックスジュース!)が振舞われるが、一緒に到着した夫婦連れの女性が別の飲み物を頼んでいる。「変わった人だな」と思っていたら、「マ ンゴーアレルギーなんですよ」とのこと。同じアレルギーを持つ妻であるが、「う〜ん、とろぴかるで美味しい」と気にもせずに3日間飲み続けた。結果、帰る前の日から発疹が出てしまった。「私もう、マンゴー食べられへんかナ・・・」と、悲しそうな口調の妻。 続いて、部屋に通されたが、予約していた部屋と違ったため、部屋の交換を申し出る。「お風呂が着いてなぁい!」と文句を言う妻。(しかし、こんなとこへまで来て、風呂に入りたがるかな)。疲れも重なって、ややご機嫌斜めらしい。 食事が終わった後、ようやく部屋でくつろげることになった。今回はローカルレートで頼んだため、DeluxeもStandardも同じ値段と聞き、「それじゃ」とDeluxeの部屋をあら
かじめ頼んでおいた。ダブルとシングルのベッドが一つずつ、小さな冷蔵庫があり、バスタブにシャワールームが着いている。エアコンはないものの、木陰に立つコテージでは、
建物の中は案外涼しい。 3時半から、アクティビティの開始。部屋を出ると、いきなり、Bornean Gibbonの(ミ ュラーテナガザル)の姿を見つける。幸先良いスタートだ。
集合場所で待っていると、雨のため、少し待つように言われる。 しばらく観察した後、いよいよキャノピーウォークへ。Porlingのものと異なり、やや急 な階段を上るだけで、アプローチはこちらの方が易しい。吊り橋もプラットフォームもこ
ちらの方が規模は大きい。三つ目のプラットフォームでしばらく鳥を探すことに。プラッ トフォームのすぐそばの木では、Red-billed Malkoha(アカハシバンケンモドキ)が休ん
でいた。我々の姿を認め、少しずつ、木の上の方に移動し始めた。 夕食を食べに、一旦ロッジへ戻る。先ほどのオランウータンは既に塒を作ってお休み中。 途中から合流した他の日本人4名は、結局腕の赤茶色の体毛しか見えなかった。
夕食後、一休みをして、第2ラウンドへ。今晩はナイトドライブに参加。荷台の前の方に陣取り、出発時間を待っていると、胸に縦斑のある大型のフクロウが飛んだ。Buffy
Fish-Owl(マレーウオミミズク)らしい。一度飛んだだけで、結局その後は姿を見なかった。
|
マレーシアの鳥 | キナバル山探鳥記(2005年) |
マレーシアのジャングルの鳥 | スカウ探鳥記 |
マレーシアの山の鳥 | ダナム・バレー探鳥記1 |
マングローブの鳥 | ダナム・バレー探鳥記2 |
マレーシア半島の探鳥案内 | ダナム・バレー探鳥記3 |
マレー半島の野鳥報告 | ダナム・バレー探鳥記4 |
ランカウィとキャメロン高原探鳥ツアー | タビン探鳥記 |
ゲンティン高原とクアラセランゴール探鳥ツアー | ボルネオでの探鳥 |
キナバル探鳥旅行(2001年) | フィールドノート・イン・ボルネオ |
マレーシアの鳥のページへ | Menuへ |